わたしに従いなさい

 


「わたしに従いなさい」

ルカ9.5162

 

今日の福音書では、イエス様がエルサレムへと向かう決意を固められたところから始まります。ルカ福音書によれば、エルサレムへと向かうイエス様の旅は、十字架に向かう旅であると同時に、「天」に向かう旅でした。その旅の中でイエス様は、従う人々に対して他者への寛大さと、自分自身への厳しさ(覚悟)を求められました。

イエス様がエルサレムに向かわれたのは、民族や国家を超えた「神の国」を実現するためです。人間が神の国の一員として迎えられる為に、どうあるべきかを弟子達や従う者達に教えられたのだと思います。そして、人間が神様との結びつきを回復させて、神の国の一員に迎え入れられるようにする準備をしてくださったのではないでしょうか。

例えば、エルサレムへの旅の途中で、サマリア人はイエス様や弟子達を歓迎しませんでした。これは当時の歴史的な背景から当然のことでしたが、 イエス様は腹を立てた弟子のヤコブとヨハネに向かって、敵対する者たちに対して怒ったり、敵意に敵意をもって返すことを戒められました。これはキリスト者にとって、とても大事な教えです。敵対する者に対する怒りを抑えること、相手を滅ぼすことによって問題を解決しようとする思いを、捨てることこそが、主イエスの弟子として、信仰者としてのあり方だと私は思います。

さらにイエス様は、旅の同行者達を諭しました。「どんな状況にあっても、心を乱す事なく、神の国を伝え広めなさい。」私達は日々悩みと共に生きています。その悩みの大部分は、私達がもっともっとと多くのものを求めるからです。残念ながら私達の欲望には限界がありません。この事からも分かるように、「神の国」に迎えていただく為には、イエス様は私達に覚悟を求めているのではないでしょうか。「主に従って生きる」信仰生活は、大変厳しいものです。決して日々の欲望との戦いにとりつかれてはいけません。冷静に物事を考え、行動を通して「主イエスに従う」ことが求められていると思います。聖書はイエス様そのものです。その全ての教えを学び、その教えに従って行動する事が必要です。口先だけで何百回「主イエスに従う」と言っても、「神の国」に招かれるわけではありません。どうぞご自分の信仰生活を学びと行動によって本当の「信仰の証」としていただきたいと思います。

皆さん、私は今ここで司祭として立っていますが、神の国のために働く者は司祭や修道者だけではありません。誰もがイエス様に従って「神の国」のために働くことができます。どうぞ皆さん「私はイエス様の弟子だ」という感謝と誇りを持って、ご自分信仰の道を歩んでください。若い私が言うのはおこがましいのですが、人生は困難に満ちた道のようなものです。ですが困難の中にも成長するチャンスがあります。例えば、この二年間私達はコロナ感染で、不自由な時を過ごしました。ですが、コロナ感染を乗り越えてきた経験は、私達の精神力を強め、忍耐力を鍛えてくれました。そして最も感謝すべき事は、改めて「希望の存在」を体感できた事だと思います。

これからも私達は様々な困難に立ち向かう時があると思います。「神様に従う」という事は、神様を信頼し、全てを委ねると共に、ご自分の心をイエス様に向けて解放して、自由になる事です。そこから感じる御言葉や愛こそが神様の恵みです。どうぞ神様の御言葉を行動で示し、どんな時にも本当の愛を持って生きていただきたいと思います。皆さん一人一人が「神の国」に希望を持って招かれますように、ご一緒に祈りましょう。

主の平和

 

カトリック吉祥寺教会2022626

アンディ神父


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