日本での4年間の思い出-PADA SEBUAH KENANGAN

日本での 4 年間の思い出 人生は旅のようなものであり、色々な思い出を作ってくれます。 2018 年 7 月 26 日にインドネシアを出発して、 2018 年 7 月 27 日に日本に到着しました。つまり、今日で日本に来てちょうど 4 年間になります。 初めて日本の土を踏んだ時、不安と希望で胸が一杯になりました。私は当時の事を今でもはっきりと覚えています。私が日本に着くと、 3 人の先輩、 Frans Moruk 神父、 Inzen Elam 神父、そして現在ポーランドの宣教者である Rio Poa 神父が迎えに来てくれました。先輩たちの顔を見た時、安心しました。 その後、私は日本語を YWCA ( Young Woman ’ s Christian Association )で 2 週間、南山大学で 4 学期+サマープログラム)勉強しました。それに加えて、名古屋で 2 ヶ月間と北海道で 10 日間ホームステイプログラムに参加しました。 日本では全て日本語を話さなければなりませんが、私の日本語の知識はゼロで、挨拶さえできませんでした。ある朝、ザビエルハウスの庭を散歩しながらた神様に問いかけました。 「主よ、日本で私に何を望みますか?」 今、最もよく覚えているのは、 YWCA での初めての日本語の宿題です。 当時、「マンゴー 2 個+マンゴー 3 個の合計は?」という質問がありましたが、文章の意味が全く分かりませんでした。やっと答えが分かった時、今まで勉強した哲学とか神学は、簡単な日本語の質問に答えるために、全く役に立たないということに、気がつきました。 2 年間、名古屋に住んだ後、 2020 年5月 30 日、私は吉祥寺カトリック教会に派遣されました。 ちょうどコロナウイルスのパンデミックが始まった時でした。日曜日だけではなく、毎日多くの人は教会にお祈りをしに来ました。カトリック信者だけではなく、信者ではない一般の人達も教会で祈ってました。それは私の故郷では見たことのない状況です。私はその光景を見てカトリック信者ではなくても、あの人達も素晴らしい信仰を持っていると感じました。 色々な経験を経て、日本に 4 年間滞在できたことに、私は感謝します。沢山の人達との思い出も出来ました。この 4 年間に自分なりの成功も失敗もありま...