「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」

 


「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」

ルカ12.3248

皆さん、今日の福音書の中で、イエス様が天にあって、この地上におられない時、教会がイエス様の再来を待っている時、私達がどのように歩んでいくべきかをイエス様は語っておられます。

そのために、イエス様が用いられている例えは、婚宴に出かけている一人の主人と、留守を守る僕(しもべ)たちのお話についてです。主人は、留守の間の家の管理を、「管理人」に任せます。問題は、この主人が、婚宴の席から、いつ戻ってくるか、管理人にも、ましてその下にいる僕たちにもまったく分からないということです。それがこの話の一つのポイントです。

留守をあずかる僕たちの在り方、その姿勢について、イエス様は次のように教えています。「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」。「腰に帯を締め」という言葉は、気を引き締めて、それに備えることを命じる言葉として聖書でよく使われます。私はイエス様が、十字架の死を間近にした時、腰に手ぬぐいをまとい、弟子達の足を洗ったというシーンを思い出します。イエス様は弟子達の足を洗うことで、心の一番奥にある汚れた部分である罪を赦し、心を清めてくだっさのではないでしょうか。

「ともし火をともす」と言う言葉の「ともし火」は、人に光が見えるように燭台の上に置きなさいというイエス様の教えを表しています。「主人が見ていない時でもご奉仕する準備をしていなさい。夜であっても準備しておきなさい。」ということを意味していると思います。ここでいう夜は、心が弱っている時や信仰的に渇いている時かもしれません。そのような時にこそ、安心して、全てをイエス様に委ねて、恐れや不安を取り去り、喜びと希望に満たされた心にしていただきましょう。

皆さん、私達は日常生活の中で、神様から沢山の物事の管理を任されています。ある人は多くの富を持つことを任され、ある人は多くの知識を持つことを任され、ある人は他の能力を任されています。 しかし、私達はキリスト者として、皆同じ責任を負っています。私達一人一人が神様から与えられた全ての物事や出来事に責任を持つべきだと思います。

私達は時折、心や体が弱っていて、奉仕する気力が湧き上がってこない時もあります。現在、新型コロナウィルス感染症や戦争によって、毎日多くの兄弟姉妹が命を失っています。私は何もできないことに限界を感じます。ですが、私はそのような時だからこそ、「腰に帯を締め、ともし火をともしなさい」というイエス様の御言葉を思い出します。力がある時のように大きな奉仕ができなくても、小さく細々と神様と繋がり、今できる奉仕をすれば、それで十分です。

皆さん、今日の福音書を通して、私達一人一人が神様の元にご自分の管理者としての責任について、沈黙のうちにもう一度、ご自身の生活を振り返ることに致しましょう。

主の平和

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