神様に従う人は信仰によって生きる





神様に従う人は信仰によって生きる

「ルカ17.5-10

皆さん、今日のメッセージは「神様に従う人は信仰によって生きる」です。私達にとって「神様を信じる」ということは、神様の存在を信じるという意味だけではありません。それは、「神様に全てを委ねて生きる」ということです。神様に全てを委ねると言っても、そのためには努力が必要です。私達は完全な者ではないからこそ、神様の助けを必要とし、そして祈り願うのではないでしょうか。

第一朗読では、当時の社会の不正に対する神様の答えが示されています。現代社会にも様々な苦しみや苦痛があります。なぜ神様はそういう試練をお与えになるのか、という疑問を感じる人は多くいることでしょう。そのような災いに対する神様の答えは、「神に従い人は信仰によって生きる」という明確なものでした。

第二朗読ではテモテは、与えられた神様の賜物を守り、勇気を持って生かすように励まされました。なぜならば、彼が授けられたのは、臆病の霊ではなく、「力と愛と思慮分別の霊」だったからです。福音宣教の為にテモテは神様の証人となり、当時のあらゆる困難に直面することを恐れませんでした。

今日の福音では、弟子達が「私達の信仰を増してください。」と願いましたが、それに対してイエス様は、「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。」と仰いました。それは、「小さな信仰を大きくしたい」という欲を捨てて、ただひたすらイエス様の御言葉を信じ実行するという信仰を持ちなさいと言う意味であると思います。そういう努力の積み重ねが、真の信仰であり、その信仰をもっていれば、私達はどのような苦しみをも乗り越えることができます。

真の信仰を持つことが出来れば、イエス様の弟子達、また私達は揺るぎない信仰と共に生き、謙虚に「取るに足りない僕」の立場で、奉仕を楽しむ者となって生きることが出来るのではないでしょうか。

このような信仰こそが「生きる信仰」と呼ばれ、私達と神様との強い絆を作ります。信仰のおかげで、困難を乗り越え、神様の子供であるという意識を持って生き、信仰の喜びを味わうこともできるのです。信仰に支えられる人生の素晴らしさを、皆様にも感じていただきたいと思います。

ところで、2017102日、ちょうど5年前の今日、インドネシアの西ティモールのアタンブアで、私を含め6名が神言修道会の司祭として、また3名がクラレチア会の司祭として叙階されました。神言会のメンバーとして、その時私が神様から受けた使命は、福音宣教、神様の愛を多くの人々に告げ知らせることでした。司祭として、もし我が身にいかなる受難が起きても、私はその受難を避けようとはしません。そういう時こそ、自分の人生を神様に委ねなければならないと思っています。

今日の朗読やミサを通して、私達はイエス様の言葉に従う熱意を持ち、感謝を持って、真の信仰の成長を願いながら祈りましょう。

最後に、私は司祭叙階の記念日を無事に迎えることが出来たことに対する感謝の気持ちとして、一つの歌を歌わせてください。


人生の歌

1.この人生は素晴らしい出来事

神様に仕えるために

いただいた時間を無駄にしないで

この人生は束の間だから

  2.この人生は素晴らしい出来事

どんな時にあっても

愛のうちに助け合いましょう

この人生は賜物だから

Reff

主よみ旨のままに

私をお使い下さい

生きる力が弱くなっても

この人生の恵みは続く

 

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