「目を覚ましていなさい」「用意していなさい」
「目を覚ましていなさい」「用意していなさい」
マタイ24.37-44
皆さん、今日私達は待降節第一主日を迎えます。言葉どおり、主の降誕を待つ節目の期間となります。「人の子の現れの日」であるイエス様の再臨の時をじっと待つことの大切さを学ぶ期間です。
今日の福音書では、イエス様は「目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰ってこられるのか、あなた方は分からないからである。あなた方も用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」と弟子達に仰いました。
皆さん、ここで言う「目を覚ましていなさい」「用意していなさい」とはどういうことでしょうか。私は今日の朗読の箇所にその答えが説明されているように思います。
第一朗読では、預言者イザヤは「ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」と言われました。第二朗読では、パウロはローマの信徒に「闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を見につけましょう」と述ています。まさしく、「主の光の中を歩む」「光の子として歩む」「光の武具を身につける」等の教えは私達の信仰の要であり、神の再来を待つための準備についての教えです。
私達はイエス様の再来がいつかは分かりません。ですから、いつどんな時においでになっても、イエス様を迎えることができるように準備して待つことが必要です。つまり、私達は常に祈りながら待つようにと求められているのだと思います。私達の「待つ姿勢」とは良い行いをしながら、イエス様の到来を待つことです。救い主がおいでになるのですから、何かが必ず変わるはずです。ここで、「自分の中で、何かが変わる」「私達の教会で、何かが変わる」そういう心構えで主の降誕を待つのがよいと思います。
残念ながら、私達は新型コロナウィルスの状況の中で、主の降誕を迎える準備をするのは、今年で3回目となりました。コロナと共に生きていく事が日常的になってきていることに、不安を感じます。
私達はこれまで、経済が発展して、暮らしが豊かになること、便利になることを最優先に生きてきました。そして、その結果、地球温暖化を生み、自然災害に苦しんでいます。戦争で、人と人が傷つけあっています。残念ながら、私達にも責任があります。私達は改めて地球に、そして人にやさしい生き方をしなければならない時が来たと思います。私達が何かが変わると信じると同時に、心を改めて、主の降誕の時をじっと待ちながら、クリスマスを迎えましょう。
ところで、1週間前、インドネシアの西ジャワで地震がありました。この地震の影響で270人以上の人が亡くなりました。行方不明者もいます。58,000人以上が避難生活をしていると言われています。自然界の力の前では人間の力は無力なものです。ですが、人間の共同体作りにおいては、一人ひとりの力は強力なものです。私は、日本人が2011年の東日本大震災から立ち直ったように、必ずインドネシアの被害者が、いつか心を癒して立ち上がってくれると信じています。どうぞ皆さん今回の地震で亡くなられた人達、そしてその他にも戦争や飢餓で亡くなった人達の永遠の安息の為、また避難している人達のために心を一つにしてご一緒に祈って下さい。色々と不安な日々が続きますが、私達は信仰を強め、じっと今を耐えて希望を持って生きていきましょう。必ず小さな変化が、いつか大きな喜びとなることを信じて、心から祈りましょう。
主の平和
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