平和について 


平和について 

(ルカ124953

皆さん、今日のイエス様の御言葉は、私達には少々難しく、戸惑うかもしれません。イエス様は「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。」そして、「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ」と仰いました。

この言葉は、私達が持っているイエス様のイメージとは、ずいぶんかけ離れた言葉のように聞こえます。今日は、イエス様の仰った「火」、「分裂」と「平和」に注目してお話ししたいと思います。

まず、イエス様が意味した「火」とは、聖霊であり、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制をもたらす神の霊です。また、「火」は神の裁きを表しています。特に、今日の福音では最後の審判の場面を意識して書かれているように感じます。私達が神の裁きの火で滅ぼされる前にイエス様が火のように燃え盛る愛で私達を救ってくださる様子が目に浮かびます。

次に、「分裂」について考えてみたいと思います。私達が思っているキリスト教は、「分裂」ではなく、「平和」が重要な教えであり、「平和の宗教」と呼ばれます。それにもかかわらず、今日の福音書でイエス様はそれと反対のことを仰います。一体これはどういうことかと疑問を感じます。

ですが、「分裂」は私達の生活の一部であることも事実です。例えばイエス様に従って行こうとした時に、身近な人達から、あるいは家族から 誤解され、対立が生じることもあります。日常生活の中でも、ちょっとした誤解から「分裂」がおきます。分裂はキリスト教の中だけで起きているわけではありません。

この「分裂」から学ぶことは、私達はどうやって「分裂」の状態の中から「各自の言葉」で自分の意見を述べ、異なる他者と共に生きることができるかということです。戦争がない状態が平和なのではありません。敵とも共存することが平和なのではないでしょうか。

「分裂」とは自分の魂を成長させる大きなチャンスでもあります。「分裂」という経験を通して私達は日常生活の中で許し、互いに尊重し、平和に生きることを学ぶことができます。

イエス様の示される平和は、相手を信じ、相手との関わりを築く呼びかけを続け、いたわってより良く生きることをめざすという意味を含んでいると思います。 私達はイエス様が投じて下さる聖霊の火を祈り求め、この火によって新しくされ、分裂を乗り越えて、神様の愛と平和の中に生きていきましょう。

ところで、明日15日は戦争が終わってから77年目です。全世界で沢山の人々が犠牲になりました。残念ながら、戦争の悲劇と脅威は今も終わっていません。戦争は如何なる理由があっても許されるものではありません。私達は理性をもって、話し合いのもとに、争うことなく、平和を創り上げていく義務があります。皆さん、心を合わせて、今日の福音の御言葉と共に世界平和のために祈りましょう。

主の平和

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