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Showing posts from February, 2024

互いに思いやり助け合う-CARING FOR AND HELPING EACH OTHER

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  互いに思いやり助け合う マルコ 1.40-45 今日の福音は先週に引き続きイエス様が一人の重い皮膚病患者を清めたことについて語られています。当時は、重い皮膚病になると、家族や社会から疎外されました。感染することを恐れることは当然でしたが、モーセの律法で、重い皮膚病は汚れていると考えられていたからです。 さらに、これは神の呪いであると理解されて、皆に忌み嫌われたようです。そのため、重い皮膚病は、通常のように癒されるのではなく、清められる事を求められました。 皆さん、当時の人が重い皮膚病によって、どれだけ苦しんだか想像できますか。愛する人から離れて全てを失い、失望のどん底の中で彼らは亡くなっていったのではないかと思います。 私は今日の福音を読んでいると、 8 年前に私が大学院で論文を書いていた時の事を思い出しました。その時、私はインドネシアのフローレス・マウメレでエイズ (HIV/AIDS) 患者と一緒に 1 年ぐらい過ごしました。彼らは、公の生活から排除されて、大きな精神的苦痛と共に生きていました。ある人は、彼らを生きている死体に例えました。肉体的には生きているが社会生活では死んでいると考えられていたからです。問題はエイズ患者達が私達と同じ人間ではない、と思われていた事です。私は彼らの悲しみや苦しみ、そして絶望感を理解しようとしましたが、自分の無力さを心の底から感じました。その時の私には手を差し伸べて助けることと、祈ることしかできなかったことを覚えています。この経験の全ては、今の自分にとってとても役に立っています。 皆さん、イエス様は絶望している皮膚病患者を拒絶せず、代わりに、深く憐れんで患者に触れました。重い皮膚病患者が「御心ならば、私を清くすることがおできになります」と願うと、イエス様は手を差し伸べてその人に触れ「よろしい。清くなれ」と仰いました。すぐに皮膚病は治り、その人は喜びました。これは、どんな状況であれ、イエス様が私達をとても愛し、助けてくださる事を意味しています。 この福音から学ぶことは二つあると思います。まず、私達が謙虚に救いを求めると、イエス様は必ず救いの手を差し伸べてくださる事を、信じる事です。もう一つは、私達もイエス様のように、思いやりの心を持って、私達の助けを求める人の声を聞いて寄り添う事です。なぜなら、私達は血のつ

癒しと祈りについて-ABOUT HEALING AND PRAYER

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  癒しと祈りについて マルコ 1.29-39 皆さん、今日の福音書では先週に続き、巡り歩いて、病気をいやしたり、悪霊を追い出したりして宣教するイエス様の姿と、人里離れた所で一人祈るイエス様の姿が印象的です。 イエス様の宣教とは、神様の国の到来を告げ知らせることでした。それは単に言葉によるだけではなく、「悪霊を追い出す」という表現で象徴されているような、神の国の到来を現実のものとして体験できるしるしを伴うものでした。 イエス様は一つの場所に決してとどまることなく、宣教するためにあらゆる場所へ出向いていきました。イエス様の祈りは、その宣教活動の中において、場所を選ばず、昼夜を問わず、あらゆる形で祈りを続けました。ですが、イエス様は治癒を求めて来る人々に、疑問を持ったであろうと思います。なぜならば、人々が求めるのは病気の治癒のみであり、神の国ではありませんでした。「これで良いのだろうか」、「人々は奇跡だけを求めて信仰を求めようとはしない」、イエス様は迷って、祈られたと思われます。 私達はイエスが癒しと宣教の間に、一旦退かれて、祈りと黙想の時を持たれたことの意味を考える必要があります。イエス様は悪霊追放の働きに備えるだけではなく、根本的なところで神様の意思を問い、自らの使命を確認するための祈りが必要だったのではないでしょうか。 私が吉祥教会にいる時、時々病気でミサに出席できない人のところに御聖体を持って行っていました。その男性は毎回私の来訪を大変喜んでくださりました。実際私は彼の病気を治す力もなく、祈りを共に捧げただけでしたが、彼にとって心の癒しになったであろうと私は信じています。 私はキャンパスで勉強する以外にも、インドネシアのコミュニティでミサ等の奉仕活動をしています。信仰に関する全ての活動を、私は喜びをもって行っています。これらの行いは私の心の癒しと祈りであり、同じように信者の方達にも心の癒しと祈りを感じて欲しいと願っています。 ところで、自動車の自動運転や、電子マネーや仮想通貨など、世の中がどんどん進化し、時代は変わっていきます。しかし、福音が人を介して伝わることは変わりません。神様から受けている恵みに気づき、周りの人に奉仕し、さらに他の人を動かす影響力のある人が現代に求められていると思います。私達も各自の生活の場に神様から派遣され