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Showing posts from August, 2023

キリストの教えを信じ続ける-BELIEVE IN GOD

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キリストの教えを信じ続ける マタイ 16.13-20 皆さん、今日の福音書はイエス様がご自分について弟子達と対話をする物語です。この対話はイエス様が私達を救うための計画を成就するためにエルサレムに向かう途中で行われました。イエス様は、自分がユダヤ人達から拒絶され、十字架につけられることを知っておられました。 そのような状況の中で、イエス様は弟子達に、本当のイエス様の教えと信じ続ける信仰の力を、心の底から求められたのだと思います。 多くの弟子達の中で、イエス様を預言者以上の存在として見ていたのはペトロでした。ペトロは、イエス様がメシアであり、生ける神の御子であることを悟りました。ペトロは、弟子達をイエス様の言葉通りに教えを守り、弟子達を完全な信仰へと導いたのです。 教会は聖人の集まりではなく、神様の教えに従って生きようとする者達の集まりです。最近、色々な理由で、多くの人が教会から離れていく傾向にありますが、教会はいつでも離れて行った人々の立ち返りを待ち、迎える準備をしています。「一匹の羊が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行きなさい」というイエス様の言葉通りに教会のドアはいつも開いています。もし、教会から離れることがあったとしても、一度洗礼を受けた人は、必ず立ち返り、信仰を取り戻して教会に戻って来る時が来ると私は信じています。 今日の福音は、私が 3 年間ぐらい、助任司祭として吉祥寺教会で働いていた時のことを思い起こさせました。私は祈りやミサを捧げる以外にも主任司祭や司祭達、信者の方々と共に様々な活動をしました。教会委員会などの会議に参加すること、教会の周りを掃除すること、高齢者のために御聖体をもって訪問もしました。特に主任司祭が不在の時は大変でした。毎日不安の中で手探り状態で奉仕したことを覚えています。ですが、その経験の中で、私はどこにいても神様の導きを求め続け、キリストの教えを信じました。これらの経験を通して、他の人々と共に働くことの大切さを学ぶことが出来たと思います。 ところで、皆さんは暑さの中で毎日大変お忙しいと思います。私も勉強のために大学に行きますが皆さんの祈りのおかげで元気です。難しい英語での生活ですが、希望と共に頑張っています。どうぞお元気にお過ごしいくださいね。いつもお祈りしています。 主の平和。 BELIEVE IN

カナンの女性の信仰からの学び-LEARNING FROM THE FAITH OF A CANAANITE WOMAN

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  カナンの女性の信仰からの学び マタイ 15.21-28 今日の福音書は、一人の女性の信仰についてです。興味深いのは、その女性の名前は福音書には記載されていません。その女性はカナンから来ました。 その当時、カナン人は異邦人と呼ばれていました。 当然のように、ユダヤ人はカナン人を「犬」と呼んだそうです。この呼び方は、人間として、失礼で汚れた、卑劣な表現だと私は思います。なぜなら、人を犬と呼ぶことは絶対に許されないからです。 福音書では、イエス様は女性に言いました。「私はイスラエルの家の失われた羊の所にしか遣わされていない」。興味深いことに、女性はしつこく何度も救いを乞います。「主よ、どうかお助けください」と叫びました。イエス様が「子供達のパンを取って子犬にやってはいけない」とお答えになると、「主よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と女性は言いました。その女性の言葉のやり取りの中で、イエス様は彼女の聡明さと信仰心に心を動かされて次のように答えました。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように。」そして、イエス様は、彼女の娘の病気をいやされました。このカナンの女性はイエス様が主であることを心の底から信じる柔らかな心の持ち主であったのではないでしょうか。 今日の福音は、信仰は謙虚に神様を信じることが何よりも大切であるということを教えています。神様の前で、カナンの女性は自分が何にも値しない異教徒であることを恥じていたはずです。それにも関わらず、彼女は神様の慈悲をお願いしました。そして、イエス様は女性の信仰の偉大さに心を打たれたのです。その結果彼女の願いは叶えられました。 皆さん、私達の日常生活には多くの課題があります。私の場合、毎日、キャンパスに行って勉強し、英語で話しをしなければなりません。ある意味、毎日同じことの連続です。時々、嫌になって、全てを投げ出したくなることもあります。こんなことをしていて、 英語が上手になるのだろうかと疑問を持つこともあります。このような時こそ、私は、勉強を始めたころの自分に立ち返り、改めて神様の導きをお願いするようにしています。 私達は毎日、人生という旅の中で、神様の元に走り寄って、助けを乞うことがあります。私達が神様に忠実であるならば、神様は私達が求めるもの

マリア様の歌-MARY’S SONG OF PRAISE

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  「マリア様の歌」 ルカ 1.39-56 皆さん、今日の福音書では、マリア様が天使ガブリエルによって、聖霊が降り、神の子を産むと 告げられたことを伝えています。天使のお告げを素直に受け入れたマリア様は、後に洗礼者ヨハネの母になるエリザベトを訪ねました。年老いて身ごもったエリザベトとマリア様は 不思議な神様の業の中で、喜びに包まれながら、共に祝福に満ちた時を過ごしたと思います。 エリザベトは、マリア様と胎内のお子様を祝福しました。そしてそれに応えるように、マリア様は歌をお歌いになりました。この「マリアの歌」は、長い教会の歴史の中で、絶えることなく歌い続けられています。「私の魂は主をあがめる、私の霊は救い主である神を喜びたたえる」から始まります。そして後半では 救いを待ち望む全ての人への祈りへと続きます。大変素晴らしい讃美の歌です。 この歌の中でマリア様はご自分を「身分の低い者」と言われ、主を畏れています。ですがマリア様は、受胎告知に慌てることなく、神様を信頼され、神の御業を全て受け入れました。そして、マリア様は神様について声を大きく誉め讃えています。つまり、マリア様は神様を喜びながら、神様と結ばれているのだと思います。 全てを神様に委ねたマリア様は幸せになるという確信を持って、言われました。「今から後、いつの世の人も私を幸いな者と言うでしょう。」皆さんも、このマリア様の勇気と謙虚さを感じながら、ご一緒にマリアの歌を味わっていただきたいと思います。 私は神学校に通っていた頃、このマリア様の歌をよく知っていました。日々の生活の中でこの歌を歌いながらいつも謙遜であることにつとめること、常に 神様に感謝を捧げることを教えられました。この教えは今もこの歌と共に私の中で生きています。 私達は忙しい生活の中で、時々謙虚さを忘れて、自分を大きく見せようとすることがあります。ついつい人を羨ましく思い、勝手に自分だけが不幸だと思うことはありませんか。でも神様から頂いた恵は皆一人一人違います。それは特別な恵みなので、比べることはできません。誰でも皆、「自分が神様に救われた物語」を持っているように、マリア様も同じ思いを持って、この歌を歌われたのだと思います。 ところで、8月 15 日は太平洋戦争が終わってから 78 年目です。全世界で沢山の人々が犠牲になりま

神様の声に耳を傾ける-LISTENING TO GOD’S VOICE

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  神様の声に耳を傾ける マタイ 17.1-9 皆さん、今日の福音書はイエス様の変容の話についてです。イエス様は12人の弟子の中からペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人を選び、山に登り祈っているところに、旧約聖書の預言者であるモーセとエリヤが現れました。すると、イエス様の顔が変わり、姿はこの世のものではない純白の輝きに包ました。イエス様はモーセとエリヤとご自分の最期の時のことについて語り、その中で、御父の深い愛、そして御父が託された使命を明らかにされました。 三人の弟子達は、イエス様たちの会話を全く理解出来なかったものの、神様の存在を目の前で感じて、畏敬の念で心がいっぱいになりました。そして、御父の「これは私の愛する子、私の心にかなう者。彼に聞け」という声が響きました。弟子達は御父の「彼に聞け」と言われた言葉に恐れながら耳を傾けました。 この出来事からの学びは、イエス様の声と呼びかけを聞くということです。神様と出会う者は新たに使命を与えられます。人間は新たに生まれ変わり、新しい使命と共に、自分の中の心の変化を感じることができるでしょう。それこそが変容です。神様との出会いや神様に与えられた使命を感じることこそが神様の声を聞くと言う意味であると私は思います。 私が司祭になろうと決心した時、祈りと黙想、聖書を読むことで、神様と向き合い、神様の御意志をよく理解出来るように努力しました。そして、私は神様と共に体験して与えられた実り、つまり「喜び」を 1 人でも多くの人に伝え、分かち合いたいと思って司祭になりました。神様に出会った弟子達も、イエス様の変容を目にして、信仰を固めて、後に来る幸せを信じ、その幸せを多くの人と分かち合いたいと思ったのではないでしょうか。 「イエス様の変容」という出来事は、凄いものを見た、というただの驚きではありません。それは私達が日々の生活の中で神様の声に耳を傾けながら生きていかなければならないという使命の一部であるということです。 慌ただしい日々を生きていく中で、私達はイエス様の声を信じ受け入れることが出来るならば、私達はいつか必ず幸せという恵みへと導かれます。イエス様が変容された様に、私達も毎日微笑みを忘れず、いい顔、いい心で生きていきましょう。 ところで、メルボルンは寒い日がまだ続いています。しかし、皆さんの祈りのおかげで