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信仰という宝-THE TREASURE OF FAITH

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  信仰という宝 マタイ 13.44-46 皆さん、今日の福音書の中で、「隠された宝」または「真珠」として例えられている「天の国」とは、私達の日常生活を支配しておられる神様の愛の働きのことです。ある農夫は汗して耕していた畑で、そして商人は遠い外国の仕事先で信仰の宝を見つけました。宝を見つけた二人は喜んで全てを売り払い、宝を手に入れました。彼らの手に入れた宝は、彼らの人生をすっかり変え喜ばしいものに変わりました。 この二つの譬えで言おうとされていることは、「この両方とも、信仰に満たされた天国というものは、何ものにも替えがたい、宝のようなものです」と言われています。 聖アウグスティヌスはこう言っています。「神よ、あなたは私達を、あなたに向けてお造りになりました。ですから、私達の心は、あなたのもとに憩うまで、安らぎを得ることができないのです」。このように、神様の愛の働きに私達の心の目が開かれることが、この例えのねらいであり、イエス様が言葉と行いで目指していたことだったのではないでしょうか。 皆さんにとって一番大切なもの、宝とは何でしょうか。私はカトリックの家庭に生まれました。 子供の頃から、父と母はいつも子供達に、村の教会で祈り、ミサに行くように教えました。 両親は常に最も美しい宝はどんな時も、毎日神様と一つになって生きていくことだと教えてくれました。私はこの両親の教えをずっと信じて生きてきました。そして毎日、神様を信頼し、神様の愛の内で生きています。 皆さん、どうぞ信仰という宝をご自分の中で探してください。富や財産は使えば消えてしまいますが、信仰の宝と愛は消えることはありません。見えないところにこそ本当の宝があります。本当の信仰は幸せをもたらせ、喜びで皆さんの人生を満たしてくれます。神様と触れ合えば触れ合うほどに皆さんの「信仰の宝」は成長します。どうぞお互いに分かち合いを通して信仰の輪が広がりますよう、ご一緒に祈りましょう。 ところで、オーストラリアは寒くなりました。日本は毎日とても暑いようですが、どうぞお身体を大切にしてください。 主の平和 Catholic church in Lahurus-Indonesia THE TREASURE OF FAITH Mat 13.44-46 My dear brothers and

良い麦となって生きる-LIVE LIKE A GOOD SEED OF WHEAT

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  良い麦となって生きる マタイ、 13.24-43 皆さん、今日の福音は先週に引き続き、種についての例え話です。ある人が良い種を畑に蒔きました。すると、人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦の種を蒔いて行ったのです。芽が出て、実ると、毒麦も現れました。興味深いことに、農夫は毒麦を引き抜きませんでした。農夫は、収穫の季節が来るまで、麦と毒麦を育つままにしました。刈り入れの時、まず、毒麦を集めて、焼くために束にしました。そして、麦の方は集めて、倉に収めました。 ここで、良い種を蒔く者はイエス様であり、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦の種を蒔いた敵は悪魔です。ここから考えられることは「敵の仕業」は形になって必ず現れるということです。それと同時に、たとえ「敵の仕業」が存在するとしても、神様は必ず焼き払われます。 皆さん、この例え話の中で、イエス様が私達に教えたかったのはどんな苦しみの中であっても私達は生き残り、成長しなければならないということだと思います。さらに、イエス様は私達の周りには何千もの「毒麦」がある中でも私達に「良い麦」のままでいるようにと求められました。つまり、私達はどのようなことがあっても日々の生活の中で善良な人間に成長しなければなりません。 どんな実を実らせるかは、私達自身に任せられています。どんな状況に置かれても、心が乱されても、良い麦の種であるよう、覚悟をあらたにして善きキリスト者として生きていきましょう。 振り返ってみると、私の人生にはいつも神様の助けが関係していると思えるような事がたくさんありました。例えば、 2018 年に初めて日本に来た時の経験です。その時、私は日本語がまったく理解できませんでした。日本語での挨拶やひらがなとカタカナの書き方さえ知りませんでした。しかし、神様の愛の助けのおかげで、完璧ではないものとしても日本語を学ぶことができました。それは私という種が神様によって植えられ、たくさんの人によって耕された畑で育てられたのだと思います。 私は私という種を蒔いてくださった神様に感謝をしながら生きていこうと思います。 さて、皆様お元気でお過ごしでしょうか。数日前、秋田県で雨と洪水があったことを知りました。今、世界中で気温の上昇、洪水や地震災害、そして戦争などによって、多くの人が苦しんでいます。そういう状況

神の御言葉を聞き、神の御言葉と共に生きる-LISTEN TO AND LIVE BY GOD'S WORD

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  神の御言葉を聞き、神の御言葉と共に生きる マタイ 13.1-9 皆さん、マタイによる福音書13章には、沢山の例え話が多く記されています。今日の福音書の中でイエス様が最初に語られたのは、種まきの例え話です。ある人が蒔いた4つの種は様々な形で蒔かれた「福音の種」のことで、その種から成長した木は私達の信仰生活のあり様を指し示しているように思います。 第1の種は、道端に落ち、鳥が食べてしまいました。道端と言うのは、人やロバなどに踏み固められ、硬くて根を張る余地がありません。ちょうど、心が硬くなっていて、せっかく福音を聞いても受け入れない人の様です。 第2の種は、石だらけの地に落ち、すぐに芽を出しましたが、日が昇るとすぐに焼けて、枯れてしまいました。熱しやすく冷めやすい人のことかもしれません。 第3の種は茨の茂みに落ち、茨にふさがれてしまいました。茨とは、誘惑のことだと思います。人間は様々な誘惑に負けてしまいます。「お金」は、お金持ちにとっても貧乏人にとっても、大きな誘惑です。信仰を持っていても、なかなかこの誘惑から自由になることができないのが実情です。 第4の種は、良い地に落ち、 30 倍、 60 倍、 100 倍の実を結びます。これは「御言葉を聴いて悟る人」です。御言葉を聞いて悟るとは、その言葉が命の言葉としてしっかりと心の中に宿るということではないでしょうか。その人の内で生きる力、また自分だけではなく、人の支えとなるということです。 御言葉は自分の生き方を変える力をもっています。今まで聞き過ごしていた、または読み過ごしていた御言葉が、聖霊の働きによって悟ることができるようになるのです。私達の内に蒔かれた種である御言葉が聖霊によって芽を出し、成長して大きな木になる様に祈り 努力し ましょう。 ところで、日本の夏はいかがですか。日本は連日災害級の暑さが続いているとニュースで知りました。オーストラリアはずいぶん寒くなってきましたが、おかげさまで私は元気です。冬休みの間、私は神学生達とシドニー旅行やゼミの活動にも参加しました。どのテーマもとても興味深いものでした。一つのテーマは「ラウダート・シ」についてでした。このテーマでは、気候変動は自然に起こるが、地球温暖化は主に人間の活動によって引き起こされていると いうことでした 。教皇フランシスコは

イエス様の元で安らぎを得る-COME AND REST WITH AND IN GOD

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  イエス様の元 で安らぎを得る マタイ 11.25-30 「疲れた者、重荷を負うものは、誰でも私の元に来なさい。休ませてあげよう。」これは福音書の中でも最も慰めに満ちた、私達へのイエス様の招きの言葉です。私達が真のカトリック信者になるためにはイエス様の御言葉をどこまで身をもって味わうことができているかということに掛かっています。 「私の元に来なさい。休ませてあげよう。」と言われるイエス様との出会いの経験なしに、そのイエス様の下での安らぎを味わう経験なしに、豊かな信仰生活を送ることは出来ません。素直に心の重荷の全てをイエス様に曝け出し癒しを希うならば、あなたを安らぎの中で包んでくださるイエス様を感じるでしょう。それが信仰です。 今日の福音を通して、もう一度、洗礼の時のあの幼子のような心に戻って、イエス様の与えてくださる安らぎ中で信じる者達だけが味わうことのできる喜びを、皆さんと共に味わいたいと思います。 ところで、先週の月曜日から、オーストラリアの学生達は冬休みに入りました。私は神言修道会の神学生達と一人の神父様と一緒にシドニーで一週間過ごします。シドニーでは私達は修道会ハウスに泊まりながらオペラハウスやシドニーのカテドラル を訪問して過ごしています。それ以外に、ニューカッスルという海に行ったり、公園でカンガルーを見たりしました。このシドニーでの休暇は楽しく、勉強だけの毎日の疲れから解放されような気分です。充分にリフレッシュ出来たので、これからもっと勉強しようという新たな意欲が湧いてきます。また新しい学期が始まりますが、頑張ります。どうぞ、皆さんもお元気にお過ごしください。 主の平和 A group photo with seminarians beside the Saint Mary's Cathedral Sydney   COME AND REST WITH AND IN GOD Mat 11.25-30 “ Come to me,  all you who are weary and burdened, and I will give you rest. ”  According to the Gospel, these are Jesus' most comforting words of invita

イエス様の弟子として生きる覚悟-PREPARE TO LIVE AS DISCIPLES OF JESUS

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  イエス様の弟子として生きる覚悟 マタイ 10.37-42 皆さん、私達は洗礼によってイエス様と結ばれ、そしてその死を授けられました。それはイエス様の御復活のように、私達も新しい命を生きるためです。 今日の福音書の中でイエス様は神の国の宣教者の弟子として生きなさいと命じられ、そしていつもイエス様と結ばれ、神様に対して生きていく覚悟を私達に求めています。 イエス様の弟子になるということは簡単なことではありません。洗礼を受けても全てを神様に委ねて生きる覚悟を持つことは大変難しものです。私達は当時の弟子達が与えられた様々な苦しみ、困難、また迫害を一つ一つ受け止めて最後までイエス様と結ばれて生き抜いたことを思い出しながら生きていかなければなりません。 私達も生活の中で、「イエス様の生き方は私達の生き方であり、イエス様の使命は私達の使命である」という考えを基本にして、生活しましょう。ぜひ自分中心ではなく他人を思いやる気持ちを持ってイエス様の弟子としての覚悟を持ちましょう。 ところで、先日私は 2 人の神学生とメルボルンの街を散歩しました。その散歩の途中、私達はとても素晴らしい音楽を耳にしまた。そこには、一人の日本人の男性がギターを弾き、同時にハーモニカを吹いて演奏していました。 彼は堂々と一心不乱に演奏をしていました。あっという間に多くの人が彼の周りに集まってきて、体を動かしながら彼の演奏を楽しんでいました。私も自然に体も心も弾んでとても感動しました。一人の日本人がメルボルンの街角で、多くの人達を感動させているのを見ていると、彼の生きる力を感じる共に勇気をもらいました。 まだまだメルボルンでの学生生活に慣れたとは言えませんが、この日本人の演奏を聞いて、自分も頑張ろうと思いました。皆さんも毎日お忙しいと思いますが、たまには自分自身をリフレッシュさせる時間を持ってみてはいかがでしょうか。それでは皆さん、お元気でお過ごしください。 主の平和 St Paul’s Cathedral- the home church for Anglicans in Melbourne. PREPARE TO LIVE AS DISCIPLES OF JESUS Mat 10.37-42 My dear brothers and sisters in

神様と共に生きる覚悟-PREPARE YOURSELF TO LIVE WITH GOD

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  神様と共に生きる覚悟 マタイ 10.26-33 皆さん、今日の福音書でイエス様は弟子達に、繰り返し「恐れるな」と呼びかけ、心が折れそうになった弟子達を励まし続けました。「人々を恐れるな」。それは別の言い方をすれば、「覚悟を決めて、日々を過ごしなさい」と更にイエス様は教えをくださいました。 突然の出来事を前にすると、私達は先の事を考えられず、恐れてしまいます。ですが、そう言う時こそ覚悟を決めて問題を解決しなければなりません。 例えば、突然病気になることがあります。もしかしたら、明日体の自由が奪われるかもしれません。これまで順調だった仕事を奪われるかもしれません。 人間関係のもつれで、親しかった友を失ったり、兄弟でありながら目を合わせることさえできなくなっている人もいるでしょう。そういう時、イエス様は私達に「恐れるな」と仰いました。 つまり、何かに恐れるということは、自分の見栄や欲を守りたいという心が働いているのではないでしょうか。もし全ての欲を捨ててイエス様を信じ切ること、そしてイエス様を信じきると覚悟を決めた人は、恐れを乗り越えて今日という時間を与えられた喜びの中で生きていけるのだと思います。ぜひ皆さんもイエス様と共に生きる覚悟を決めてこれからの日々を過ごしていただきたいと思います。必ずイエス様しか与えることのできない平安があなたを包んでくださいます。 ところで数日前、神言修道会のユスティン神父という典礼音楽の専門家がインドネシアで亡くなりました。スティン神父は素晴らしいミュージシャンであるだけでなく、彼は音楽を通して生涯を神様に捧げた方でした。彼の音楽作品はインドネシアの信者だけでなく、世界に派遣されている神言会修道者の心をいつも慰め、励ましてくださいました。 多くのインドネシア人は悲しみに暮れていますが、彼の音楽作品はインドネシアの教会にとって永遠のものです。彼を讃えるために、私はピアノを弾いて、クリスナ神学生はヴァイオリンを弾きました。どうぞ皆さん、ユスティン神父の永遠の安息の為にご一緒に祈ってください。 主の平和   PREPARE YOURSELF TO LIVE WITH GOD My dear brothers and sisters. In today's Gospel, Jesus repea

イエス様の弟子として生きる- ON BECOMING A DISCIPLE OF JESUS

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イエス様の弟子として生きる マタイ 9.36-10.8 今日の福音の中で、イエス様は 12 人の弟子を呼び寄せ、使徒として汚れた霊を追い払い、あらゆる病気を癒し、 1 人でも多くの人を救う為に派遣しました。イエス様によって選ばれ、派遣された弟子達は、特別に立派な人や、優れた人達ではありませんでした。ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネはガリラヤ湖の漁師です。罪人の代名詞として忌み嫌われていた徴税人のマタイ、後にイエス様を裏切ることになるイスカリオテのユダ、熱心党(反ローマの武装集団)シモンの名もありました。 派遣された弟子達がなすべきことは、イエス様が行なっていたのとまったく同じことでした。 イエス様が今生きておられたら、私達に向かって何を話し、何をなさるだろうか、どういう人に近づき、どう関わり、どんなメッセージを語るだろうか、と考えてみてはいかがでしょうか。是非聖書の中から、イエス様の御言葉、そしてご自分の答えを探していただきたいと思います。 ところで、 16 日、メルボルンに来て 1 ヶ月になりました。皆さんはお元気でしょうか?私もメルボルンで元気に毎日学校に行っています。しかし、パソコンの使いすぎの影響か、目の調子が良くありません。数日前、近所で目薬のビタミン剤を探そうとしていましたがすぐ見つかりませんでした。日本ではドラッグストアがたくさんあって、たくさんの種類の目薬が売っていました。ついつい便利だった日本の生活と比べてしまいます。私はこれから色々な人に聞きながらメルボルンの生活に慣れていこうと思います。世界に派遣された弟子達が苦労したことを思うと、不便な事も乗り越えられると思います。どうぞ皆さんもお元気でお過ごしください。 主の平和 ON BECOMING A DISCIPLE OF JESUS   Mat  9.36-10.8 My dear brothers and sisters. In today's gospel, Jesus called twelve disciples and sent them out as apostles to cast out evil spirits, heal every disease and save as many people as possible. The discip

キリストの聖体の主日-ABOUT THE MOST HOLY BODY AND BLOOD OF CHRIST

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  聖体の主日 皆さん、今日はキリストの聖体の祭日です。 聖体というと最後の晩さんの記念である聖木曜日を思い起こします 。聖体拝領はイエス・ キリストが私達を養う食べ物になってくださったという、 大変不思議な神秘です。当時、最後の晩さんでは、「 これはわたしの体である」「わたしの血である」 と言ってパンとぶどう酒を弟子達に分け与えることで、 弟子達はイエス様と一致する恵みをいただきました。 そして今、 私達もご聖体をいただくことによってイエス様が私達の内に来られ ることを体験することができます。綺麗な心、 純真な心を持ってこそ、 ご聖体の秘跡の恵みをいただくことができるのだと思います。 聖体の秘跡は神との一致を表わします。しかし、 自分達だけが神様との結びつきに心を満たされて、 それで終わりということではありません。 飢餓でお腹をすかしている人々、愛に飢えている人々、 寝るところを毎日探している人、 沢山の人々が神様からいただくパンを待ち望んでいます。 それが現実です。 私達はつい自分中心に物事を考えてしまいますが、 どうぞ自分の周りの人たちにも目を、そして心を向けてください。 その為には、まず自分を客観的に見て、その現実を理解し、 謙虚に受け入れる事が必要です。その行為なしに、 誰かを思いやる事、 共に分かち合うことなどはできないと思います。 これらの努力をしながら人々と愛を分かち合うことは、 霊的な成長を促します。 神様の愛と救いの中で私達は信仰を強めましょう。聖体拝領、 黙想、そして祈りを通して、 神様と一つになる瞬間は最高の癒しです。ぜひ皆さんも、 このパンの恵みを感じていただきたいと思います。 ところで、私は毎日モナッシュ大学で英語を学んでいます。 メルボルンでの学生生活にもだいぶ慣れてきましたが、 まだまだ食べ物には慣れていません。 日本のおにぎりが食べたいです(笑)。 新しい言語を学ぶのは、難しいですが、 その中でも友人ができ、新しい発見があります。 神様の愛のおかげで、 どんな難しいことがあっても安心して立ち向かえていると感じてい ます。 皆さんも神様の愛を日々感じながら生活していただきたいと思いま す。 主の平和 ABOUT THE MOST HOLY BODY AND BLOOD OF CHRIST Today

三位一体-ABOUT THE HOLY TRINITY

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  三位一体 皆さん、お元気ですか。皆さんは元気であれば幸せです。今日、私達は三位一体の主日を迎えました。父は王座に座した姿、子は父の右の座に座した姿、聖霊はハトの姿などに表されます。 父と子と聖霊は同じ唯一の神ですが、それぞれはっきり区別されています。父なる神は宇宙万物を創造され、全てを支配される全知全能のお方、子(イエス様)は私達と全く同じ人間ですが、同時に神様の独り子です。私達を罪から救うために父なる神から遣わされた方です。聖霊はイエス様の救いの業を続けるために遣わされ、教会を活かし、私達の内にあって、神様の国の完成のために働かれます。 この父と子と聖霊-三位一体の神様の共同作業を行って私達の真の幸せの為に計らってくださっているのです。 父なる神様、子なるイエス様、そして聖霊が、いつも私達と共にいて、関わり、支えて導いてくださいます。こうして私達は非常に深く、永遠に、無限の愛の絆で神様と結ばれているのです。イエス様はどんなに辛い時にも一緒にいてくれる、どんなに悲しい時にも希望の光を与えてくださいます。 ところで、私の英語の学校は月曜から始まりました。毎日新しい文化や食生活の違いについていくのは大変ですが、新しい発見や学びもあります。一つ困っているのはお米が違うことです。やはり日本のお米が好きです(笑)。 沢山の宿題で 1 日があっという間に終わります。ですが朝のミサと一日の終わりの祈りの時は、いつものように三位一体の父と子と聖霊の御恵みを感じます。毎日、修道院と学校の生活に慣れる為に、一生懸命生きていくことが出来るのも、神様の愛が常に心の中に感じるからです。どうぞ皆さんも神様から守られて生きているという事を感じて頂きたいと思います。 メルボルンは寒くなって来ました。日本はこれから梅雨になりますが、皆さんお元気でお過ごしください。 主の平和 ABOUT THE HOLY TRINITY   My dear brothers and sisters in Christ Jesus. How are you today? I hope you are well. Today we celebrate the feast of Holy Trinity (the Father, the Son and the Holy Spirit

聖霊降臨-ABOUT PENTECOST

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聖霊降臨 ( 使徒言行録 2.1-11 とヨハネ 20.19-23 ) 皆さん、 聖霊降臨日、おめでとうございます。今日は、約束の聖霊が弟子達の上に降ったことを記念する聖霊降臨日で、昔から「教会の誕生日」と言われてきた祝日です。弟子達が多くの人々にイエス様のことについて、公に語り始めた大切な日となりました。 イエス様 は天に帰られる前、弟子達に、「聖霊が与えられるまで、エルサレムで待ちなさい」と仰いました。弟子達はイエス様の言葉に従い、共に集まり、祈って、待ちました。その時、彼らはとても不安だったと思います。というのもイエス様の言われた聖霊がいつ来るのか、何日後にとか何月何日にとかおっしゃらなかったからです。 彼らは、イエス様の言葉に従って待つしかなかったのです 。ですが、その 10 日後、五旬祭の日に 弟子達の物語が大きく動き出します。 一同が集まっていた時、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」と使徒言行録に書いてあります。 弟子達は、その時確かに神様の息吹、聖霊の存在を感じ取る事が出来ました。イエス様は私達のために残された約束を弟子達ははっきりと理解する事ができました。「弁護者、慰め主、真理の霊を遣わしてくださいます。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいる」。そして今、聖霊の導きによって、私達一人一人に福音が届けられています。私達はイエス様の昇天から 2000 年後の今も、日本やインドネシア、オーストラリアで、あの日誕生した教会にこうして集められ、神様を賛美する時を与えられているのです。この事実こそ、今なおこの世に満ち満ちている聖霊によって私達が生かされていることの証しです。 私達はこの聖霊がいつも一緒にいてくださることを求め、お互いに配慮し合い、共に苦しみ、共に喜びながら生きていきましょう。そして私達が本当に心を合わせ 「一つになる」ことできますよう、ますます祈り求め、キリストの体としての教会を大切にして頂きたいと思います。 ところで、 3 日前、私はメルボルンの聖公会大聖堂を訪れました。 興味深いことに、教会内にはコロナウイルスで亡くなった人々の安全と世界平和を願うためにキャンドルが灯されてい