互いに思いやり助け合う-CARING FOR AND HELPING EACH OTHER
互いに思いやり助け合う マルコ 1.40-45 今日の福音は先週に引き続きイエス様が一人の重い皮膚病患者を清めたことについて語られています。当時は、重い皮膚病になると、家族や社会から疎外されました。感染することを恐れることは当然でしたが、モーセの律法で、重い皮膚病は汚れていると考えられていたからです。 さらに、これは神の呪いであると理解されて、皆に忌み嫌われたようです。そのため、重い皮膚病は、通常のように癒されるのではなく、清められる事を求められました。 皆さん、当時の人が重い皮膚病によって、どれだけ苦しんだか想像できますか。愛する人から離れて全てを失い、失望のどん底の中で彼らは亡くなっていったのではないかと思います。 私は今日の福音を読んでいると、 8 年前に私が大学院で論文を書いていた時の事を思い出しました。その時、私はインドネシアのフローレス・マウメレでエイズ (HIV/AIDS) 患者と一緒に 1 年ぐらい過ごしました。彼らは、公の生活から排除されて、大きな精神的苦痛と共に生きていました。ある人は、彼らを生きている死体に例えました。肉体的には生きているが社会生活では死んでいると考えられていたからです。問題はエイズ患者達が私達と同じ人間ではない、と思われていた事です。私は彼らの悲しみや苦しみ、そして絶望感を理解しようとしましたが、自分の無力さを心の底から感じました。その時の私には手を差し伸べて助けることと、祈ることしかできなかったことを覚えています。この経験の全ては、今の自分にとってとても役に立っています。 皆さん、イエス様は絶望している皮膚病患者を拒絶せず、代わりに、深く憐れんで患者に触れました。重い皮膚病患者が「御心ならば、私を清くすることがおできになります」と願うと、イエス様は手を差し伸べてその人に触れ「よろしい。清くなれ」と仰いました。すぐに皮膚病は治り、その人は喜びました。これは、どんな状況であれ、イエス様が私達をとても愛し、助けてくださる事を意味しています。 この福音から学ぶことは二つあると思います。まず、私達が謙虚に救いを求めると、イエス様は必ず救いの手を差し伸べてくださる事を、信じる事です。もう一つは、私達もイエス様のように、思いやりの心を持って、私達の助けを求める人の声を聞いて寄り添う事です。なぜなら、私達...