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新年明けましておめでとうございます

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  新年明けましておめでとうございます 皆さん、明けましておめでとうございます。 2024 年は皆さんにとって、どういう年であったでしょうか。楽しいことや悲しいこともあったでしょう。沢山笑ったこと、辛くていっぱい涙を流したこともあったかもしれません。ある人は、新しい命の誕生の喜び、大切な人との死の別れ、ストレス、不安を抱えたことなど色々な事があったと思います。 私は年末にインドネシアの家族や友達から沢山のメッセージをもらいました。その中で、最も記憶に残っているのは、一人の友人からもらったメッセージです。それは、「未来は自分の夢を信じる者のためのものだ」というメッセージです。このメッセージによって、私は励まされ、 2025 年を気持ちよく始めることが出来るような気がしています。 もし 2024 年に願いが叶わなかった人がいたら、 2025 年は、叶うように努力しましょう。自分の夢を心から神様の手に委ねて、努力を重ねる事ができたならば、その夢を必ず実現できると私は信じています。 ところで、日本のことわざでは「一年の計は元旦にあり」という言葉があります。皆さん、今年の元旦に何を決心されましたか。この決心が一年間続きますように努力しましょう。この一年が神様のみ胸を忠実に実行する年となりますように。そして、この一年が愛と信頼に満ちた年となりますよう、心を合わせて祈りましょう。 今年も宜しくお願い致します。 主の平和

聖家族の祝日

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  聖家族の祝日 皆さん、主の御降誕おめでとうございます。今日私達は聖家族の祝日を祝います。聖家族は神様を中心とした絆、神様への信仰と信頼、そして希望によってしっかりと結ばれていた家族です。今日は、ナザレの家族の聖性を思い起こしながら、信仰のあるカトリック家族もその聖家族に倣って、聖なる家族として生きていくことができるように祈り求める日でもあります。だから、私達は心を合わせて、カトリック家族の全てのメンバーのために祈りましょう。 クリスマス期間中に皆さんはお忙しかったと思います。クリスマス期間中の私の活動の写真とビデオも添付します。どうぞ皆さん、お元気で新年をお迎えください。 主の平和

クリスマスおめでとうございます

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  クリスマスおめでとうございます   今日はクリスマスです。主イエス・キリストのご降誕を祝う日です。 クリスマスは一年中で最も多くの人が教会へ来てくださる日です。なぜならば、クリスマスが喜びの日であり、喜びを分かち合うことができるからです。 皆さんも、 1 人でも多くの人と共に声を交わし、主のご降誕を喜び祝っていただきたいと思います。 今年一年皆さんの祈りと励ましで、私は学業と司祭としての責任をなんとか果たすことができました。ありがとうございます。もっと努力することがありますが、焦らず確実に一歩ずつ前に進んでいきたいと思います。 どうぞ皆さん、お元気で新年をお迎えください。 主の平和

待降節第四主日

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  待降節第四主日 皆さん、お元気ですか。私は現在期末試験中ですが、皆さんのご支援と祈りのおかげで元気に過ごしています。 今日私達は待降節第 4 主日を迎えます。祭壇の前には、4つの待降節の蝋燭が点灯されて 更に明るくなってきました。 それは主の到来を歓迎する準備を象徴する光だからです。 今日の福音では、マリア様は私達に 2 つのことを教えています。 一つ目は、神様のご意志に従うことです。二つ目は、神様への信仰です。マリア様は聖霊の語り掛けを素直に受け入れました。これはマリア様にとって理解するのが難しい経験でしたが、マリア様は父なる神への強い信仰をもってそれを受け止めました。 このマリア様の態度と信仰は、私達が人生の様々な問題に直面する時に見習うべき従順な態度を示しています。私達も神様の申し出に答えてくれたマリア様に感謝して信仰を強めていきましょう。 私達は毎日多くの矛盾や理不尽な状況の中で生きています。ですが全ての経験は、必ず意味のある、そして価値のある経験に繋がります。強い信仰を持って、改めて救い主の誕生を祝いながらマリア様の経験された神秘を味わいましょう。 私も毎日多くの宿題や試験で、自分の気持ちに余裕が無くなる時もあります。時には面倒くさくなり、この生活から少し離れてみたいと思うこともありますが、今神様が求めておられる事を思い出すたびに、心を改めて前に進もうと思います。 日本ではもっと寒くなると思いますが、今週もお元気にお過ごしください。 主の平和

待降節第三主日

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  待降節第三主日 皆さん、今日私達は待降節第 3 主日を迎えます。祭壇の前には、 3 つの待降節の蝋燭が点灯しています。燃える蝋燭が主の到来を歓迎する準備を象徴していますが、同時に、私達の生活も神様の前でより鮮明に映し出されます。 私達がキリストの光の中で生きるならば、私達はキリストの光の証人にならなければなりません。私達の心の内が神様の前にさらけ出される時です。最も大事なことです。どうぞ、神様の言葉を読んだり瞑想したり、教会のミサで祈ったり、教会の活動に参加したりしながら自分の一年の心の有り様を見直し悔い改めるところがあれば、素直に赦しを求めて頂きたいと思います。 ところで、私は今クリスマスの準備をしながら、大学で期末試験を受けています。多くのレポートを書かなくてはいけないので、ちょっと大変です。笑。皆さんも毎日お忙しいと思いますが、お元気にお過ごしくだください。   主の平和。

待降節第二主日

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待降節第二主日 皆さん、今日は待降節第二主日です。 一日一日とクリスマスに近づいています。ロウソクも一本ずつ増えると、心も暖かくなります。 時々私は多くの宿題に頭が痛い日々を過ごしています。笑。半分英語とインドネシア語で、そして、時々ジャワ語、アラビア語の本や記事を読みながら忙しく過ごしていますが、友達もたくさんできました。イスラム写本を勉強するためにジョグジャカルタのソノ・ブドヨ博物館に行ったときの写真を添付し ​​ ます。 主イエスの誕生を祝う準備をしている今、私は多くの人々の苦しみ、悩み、寂しさ、不安、悲しみを思います。フローレス島で被災した友人達も復興に向けて頑張っています。皆さまのご支援と祈りに心から感謝いたします。 日本はいよいよ寒くなってきた頃だと思います。皆さん、風邪などひきませんように、気をつけてお過ごしください。 主の平和  

待降節について

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待降節について 皆さん 、お元気ですか?  私は、皆さんの応援と祈りのおかげで、 ジョグジャカルタで元気にしています。 今日私達は待降節第一主日を迎えます。文字どおり、主の降誕を待つ節目の期間となります。「人の子の現れの日」であるイエス様の再臨の時をじっと待つことの大切さを学ぶ期間です。 私達はイエス様の再来がいつかは分かりません。ですから、いつどんな時においでになっても、イエス様を迎えることができるように準備して待つことが必要です。つまり、私達は常に祈りながら待つようにと求められているのだと思います。私達の「待つ姿勢」とは良い行いをしながら、イエス様の到来を待つことです。救い主がおいでになるのですから、何かが必ず変わるはずです。ここで、「自分の中で、何かが変わる」「私達の教会で、何かが変わる」そういう心構えで主の降誕を待つのがよいと思います。私達が何かが変わると信じると同時に、心を改めて、主の降誕の時をじっと待ちながら、クリスマスを迎えましょう。 ところで、 11 月 3 日にインドネシアのフローレス島で最大規模の噴火が起きました。度重なる噴火で 10 人が亡くなりました。私が一年半年教えた小神学校や聖霊会の修道院、聖霊会の中学校も落石に中学校壊しました。聖霊会のシスターも一人お亡くなりになりました。その中にはいつも神学生を助けてくれた人々がいます。6つ以上の村の全ての住民 11.000 人以上が避難生活を送っています。その中にはいつも神学生を助けてくれた人々がいます。フローレス島の火山噴火の余波のビデオを添付します。もし彼らの為にご支援とお祈りをいただけましたら幸いです。 色々と不安な日々が続きますが、私達は信仰を強め、じっと今を耐えて希望を持って生きていきましょう。必ず小さな変化が、いつか大きな喜びとなることを信じて、心から祈りましょう。 今週もお元気にお過ごしください。 主の平和

学生生活

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  皆さん、お元気ですか?  私は、皆さんの応援と祈りのおかげで、 ジョグジャカルタで元気にしています。 月曜日から金曜日まで、大学に行って勉強しています。 大学の友達はほとんどイスラム教徒ですが、 とてもフレンドリーで仲良く過ごしています。  日本は冬に入ったでしょうか?皆さん も風邪など引かずお元気でお 過ごしください。  私の大学での活動のビデオを添付します。楽しんでいただければ幸いです。   主の平和

マリア様の心

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  「マリア様の 心 」 ルカ 1.39-56 皆さん、お元気ですか?おかげさまで私は元気に過ごしています。 10 月最後の日、皆さんにマリア様の歌について考えていただきたいと思います。福音書では、マリア様が天使ガブリエルによって、聖霊が降り、神の子を産むと 告げられたことを伝えています。天使のお告げを素直に受け入れたマリア様は、後に洗礼者ヨハネの母になるエリザベトを訪ねました。年老いて身ごもったエリザベトとマリア様は 不思議な神様の業の中で、喜びに包まれながら、共に祝福に満ちた時を過ごしたと思います。  エリザベトは、マリア様と胎内のお子様を祝福しました。そしてそれに応えるように、マリア様は歌をお歌いになりました。この「マリアの歌」は、長い教会の歴史の中で、絶えることなく歌い続けられています。「私の魂は主をあがめる、私の霊は救い主である神を喜びたたえる」から始まります。そして後半では 救いを待ち望む全ての人への祈りへと続きます。大変素晴らしい讃美の歌です。  この歌の中でマリア様はご自分を「身分の低い者」と言われ、主を畏れています。ですがマリア様は、受胎告知に慌てることなく、神様を信頼され、神の御業を全て受け入れました。そして、マリア様は神様について声を大きく誉め讃えています。つまり、マリア様は神様と強く結ばれていることを表しているのです。  私は神学校に通っていた頃、このマリア様の歌をよく知っていました。日々の生活の中でこの歌を歌いながらいつも謙遜であることにつとめること、常に神様に感謝を捧げることを教えられました。この教えは今もこの歌と共に私の中で生きています。 私達は忙しい生活の中で、時々謙虚さを忘れて、自分を大きく見せようとすることがあります。ついつい人を羨ましく思い、勝手に自分だけが不幸だと思うことはありませんか。でも神様から頂いた恵は皆一人一人違います。それは特別な恵みなので、比べることはできません。誰でも皆、「自分が神様に救われた物語」を持っているように、マリア様も同じ思いを持って、この歌を歌われたのだと思います。  ぜひお元気にお過ごしください。 主の平和

カトリック吉祥寺教会創立75周年

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カトリック吉祥寺教会創立75周年      皆さん、お久しぶりです。お元気でお過ごしでしょうか。そして、カトリック 吉祥寺教会創立75周年おめでとうございます。私は忙しい日々を過ごしていま すが、元気です。私が吉祥寺教会に助任司祭として着任した時は、コロナパン デミックの時でした。教会でのミサが中止になり、多く活動が出来ませんでし たが、3年間働いたことをとても嬉しく思っ ています。これからも吉祥寺教会 の生活のために、身も心も捧げてください。私はどこにいても、いつも祈りの 中で皆さんとお会いします。      今後ともよろしくお願いいたします。

ブログについて

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皆さん お久しぶりぶりです。お元気でお過ごしでしょうか。 私は9月からインドネシアのジョグジャカルタの大学院で勉強する ことになりました。 大学生活が落ち着きましたらブログを再開したいと思います。 暑い日がまだまだ続きますが、皆さんお元気でお過ごしください。 主の平和

私は天から降ってきたパンである

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  「私は天から降ってきたパンである」 ヨハネ 6.41-51   皆さん、今日の福音書は、天から降ってきた「命のパン」についてです。イエス様は「私は天から降ってきたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。私が与えるパンとは、世を生かすための私の肉のことである」と仰いました。「命のパン」は私達にとって”魂の食べ物”です。 「命のパン」は、決して目に見えるものではありません。それは、見える出来事の中に、見ることのできない神様のお導きやご計画を感じる、または見るということです。例えば、今まで偶然であると思っていたこと、または自分の努力だけで成功したと信じていたことは、神様が導いてくださったと思えるようになることです。その最たる例が信仰です。 その信仰は、神様の御言葉、ご聖体をとおして、成長します。信仰そのものがなければ、私達がいただく聖体は全く意味のないものとなってしまいます。なんでもいいから、ご聖体を食べれば、効き目があるというものではありません。 ご聖体を頂くときは、ご自分の信仰はイエス様の求めに値するのか、イエス様は私達の為に何をしてくださったのかを、心に刻んで、改めて、イエス様を心の中に感じながらご聖体をいただきたいと思います。 イエス様の「命のパン」の信念は、ご自分の為ではなく、他の人達への「命のパン」であることも意味しています。もし、困っている人がいたら、ぜひ彼らの声に耳を傾けてください。苦しんでいる人達に寄り添い、心の痛みを分かち合うことも、「命のパン」の分かち合いになります。本当の幸せとは自分だけが幸せになることではありません。共に苦しみを分かち合い、共に幸せを分かち合うことだと思います。どうぞ皆さん、多くの人々へ「命のパン」を届けてくださいますように。 今週もお元気にお過ごしください 主の平和

神様の奇跡について

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  神様の奇跡について ヨハネ 6.1-15   今日の福音書では、イエス様は 5000 人を養うという奇跡を行われました。空腹と不安でいっぱいな弟子たちに、草の上に座る様に命じて、感謝の祈りを唱えると、次から次へとパンや魚を取り出して弟子たちに渡しました。配ってもパンと魚は増えていきます。弟子たちは本当の奇跡の体験者となったのです。 私達はイエス様をもっと近くに感じたい、イエス様の奇跡を弟子達の様に体験したいと思います。ですが、思い願うだけでは奇跡は起こりません。そこには強い信仰が必要です。私達は弟子達の様な体験は出来ませんが、その代わり、主日のたびに、神様の御言葉を与えられ、御聖体を授かる事が出来ます。私達がどの様な困難にあっても、生きる力と勇気、そして希望の光を与えていただきます。それらは誠の救いとして私達を導いてくださいます。つまり私達の信仰は神様から与えられた、万能の薬、奇跡なのだと思います。 今週もお元気にお過ごしください。 主の平和  

祈りと慈愛の心について

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  祈りと慈愛の心について マルコ 6.30-34 皆さん、今日の福音は弟子達の伝道報告と祈り、そして慈悲の心についてです。イエス様は弟子達の苦労を労いながら、静かな所に行って、祈って、休むように命じられました。つまり祈るという事は心を休める事を意味しているのだと思います。 私達はどんなに幸せでも、心が満たされない時があります。そういう時こそ、「祈って休む」ことを実践してみてください。神様との語らいの中で、救いを求める時、困った時は、是非教会に来て、沈黙の中で神様の意志を求め、祈って心を休めていただきたいと思います。 もう一つの教えは、慈悲の心についてです。イエス様は私達に、見捨てられた人を見るために目を開け、そして苦しんでいる人達の悲しげな叫びを聞くために耳を傾けるように教えられました。私達は忙しい事を理由に自分のことを中心に考えがちですが、救いの手を求めている人が沢山います。今日、多くの人が困っています。自分のできる範囲で構いません、愛を持って分かち合い、支え合いながら一日一日を過ごしましょう。勇気を持って救いの手を差し伸べてみてはいかがでしょうか。 どうぞ祈りを通して、心の休息をとり、慈悲の心で、愛のある日々を過ごしていただきたいと思います。今週もお元気にお過ごしください。 主の平和

困難は学びのチャンス

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  困難は学びのチャンス マルコ 6.7-13 皆さん、今日の福音書は伝道者としての生き方についてです。イエス様は 12 人の弟子を 2 人ずつ一組にして伝道の旅に送り出しました。食べ物、お金、下着も持たず、杖だけを持つことを許されました。六組に分かれた弟子達は、困難の連続の中で、共に励まし合い、支え合って伝道の旅を続けたのだと思います。 今日の福音を読みながら、私はオーストラリアでの自分の置かれている状況を考えてみました。宣教者や学生、そして司祭として生きていくことが難しいと感じることがあります。ある日、 私は一人の先輩にアドバイスを求めました。その時、彼は言いました。「皆人生に一度や二度本当に苦しい時がある。でも必ず他の道があるはずで、全てが終わったわけではありません。今この苦しみこそ、成長のチャンスです。学びのチャンスです。」この彼の言葉を聞いて、私は皆さんに福音を通して、同じアドバイスをしてきたことを思い出しました。そして、私は初めて心の底から、苦しみや悲しみは神様からの恵みであると理解しました。幸せであることだけが神様の恵みでは無いという事を実感しました。 私達の人生も、弟子達の伝道の旅のようなものです。一人一人、異なる困難の中で、それぞれの義務と責任を持って生きていかなければなりません。時には 1 人で苦しみや悲しみの中で悩むこともあります。そのような時は、勇気を持って救いの手を求めましょう。支え合い、助け合うことで、そこには愛や希望が見出されるのではないでしょうか。私達は一人で生きているわけではありません。あなたを心配してくれる家族がいます。友もいます。そして、いつも神様は愛と希望の光で、導いてくださいます。 迫害の中で、神様を信じ命をかけて信仰を守り抜いてくださった 12 人の弟子達の勇気と信仰の深さを思うと、私も同じ様な志を持って生きていきたいと改めて思います。 私達の人生の旅は、神様から与えられ、神様によって終わります。困難な時こそ、小さな努力を重ねながら、神様を信じ、全てを委ねる勇気を持って、信仰の中に生きていきましょう。 主の平和

休み

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皆さん、お元気ですか。私は元気に忙しく過ごしています。諸事情により今週のブログをお休みします。 どうぞお元気でお過ごしください。  主の平和

困難はチャンスの時-DIFFICULTIES ARE PRECIOUS OPPORTUNITIES

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  困難はチャンスの時 マルコ 4.35-40 私は人生は海を航行する船のようなものだと思います。時々スムーズに航海する時もあれば、ひどい波にあって沈みそうになる時もあります。皆さんはどう思いますか。 興味深いことに、今日の福音書は、湖の真ん中で弟子達がイエス様と一緒に航海した時の体験について語っています。嵐の中で弟子達は「先生、私達がおぼれても構わないのですか」とイエス様に叫びました。イエス様は風を叱り、湖に向かって「黙れ。静まれ」と言われました。すると、風はやみ、すっかりなぎになったのでした。 今日の福音を振り返る時、私は南山大学で日本語を学んでいたことを思い出しました。例えば思っている事を日本語でうまく話せなかったり、漢字を読めなかったり、インドネシアの料理が懐かしくなったり多くの困難に直面しましたが、神様の祝福と皆さんの祈りのおかげで、その困難を乗り越えることが出来ました。その経験があるからこそ、今モナッシュ大学で何とか勉強について行くことが出来るのだと思います。困難は私に忍耐することの大切さそして神様の救いの業を教えてくれました。 困難や痛み、危険の脅威を経験した時私達は動揺し、落ち着きがなく、不安になります。それは当然の感覚です。ですから、嵐に直面した時の弟子達のイエス様への叫びは、私達が生活の中で困難な状況に直面した時の私達の叫びと同じです。私達は何事もなく普通に生きている時、それが当たり前と思って、神様に感謝することを忘れがちになります。どうして神様は助けてくれないのか ? と不平不満を訴え始めたりします。私達は時々とても身勝手になることがあります。 しかし、私達がどのような状況にあっても神様はいつも私達と共におられます。そして、希望の光を私達に常に注いでくださいます。私達が困難を乗り越えた時、「あーあの時も神様は私を守ってくださった。神様は私を支えて、導いてくださった。」と思える時が必ず来ます。皆さん、静かな祈りの中でイエス様の御言葉を聞きましょう。「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」 主の平和   DIFFICULTIES ARE PRECIOUS OPPORTUNITIES My dear brothers and sisters in Christ, life is like a...

信仰という種を育てる- SOW THE SEEDS OF FAITH AND LOVE

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信仰という種を育てる マルコ 4.26-34 皆さん、お元気ですか。メルボルンは寒くなってきましたが、私は元気に過ごしています。 今日は神の国についてお話をしたいと思います。イエス様は神の国は地にまかれた種のようなものだと話されました。「人が土に種を蒔いて、知らぬ間に種は目を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は分からない。土はひとりでに実を結ばせる」と仰いました。 このからし種の成長のように、神の国というものは、神様の力によって芽を出し、成長して、実を結ぶのです。種を蒔いた人の力で実を結んだわけではないのです。神様の超越した力が為す技です。神様のこの無限大の力は私達の生活の中に、確実に存在して働いています。そしてその働きは未来へと続いていきます。私達の人生は、神様の働きと切り離されることはありません。 私は今日の福音を通して、今まで経験してきたことは神様が私に与えてくださった特別な祝福であると気づきました。共同体での生活から学校での活動まで、毎日の生活を当たり前のように過ごしてきましたが、こうして健康に、不自由なく、勉強に励むことが出来ること全てが神様からの贈り物です。神様の祝福は喜びだけではありません。苦しみや痛みも、その全てが祝福であると、私は心の底から気付いたように思います。神様が私に蒔いてくださった種をこれからも大事に育てていきます。本当に神様に感謝いたします。 私達の人生は神の国の種を蒔くようなものです。救いを求める人に手を差し伸べる、分かち合いの会話を持つ、慰めの言葉をかけるなど、その全てが種まきなのだと思います。皆さん、ぜひご自分の生活の中に、神様の存在を感じてください。苦しみや悲しみを全て受けとめ、常に平和と愛で満たされた生活を目指していきましょう。 それでは皆さん、今週もお元気にお過ごしください。 主の平和   SOW THE SEEDS OF FAITH AND LOVE Hello everyone, how are you? I hope you are doing well. I'm doing well too even though it's getting colder in Melbourne. Today's gospel is about the K...

イエス様の御心は無限大-THE INFINITE HEART AND LOVE OF JESUS

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  イエス様の御心 は無限大 皆さん、お元気ですか。皆さんの応援と祈りのおかげで、私は元気に過ごしています。一日があっという間に終わり驚いています。 さて、今日は、イエス様の御心の祝日です。イエスの御心は、人間に対する神様の愛の象徴です。 聖書では、ゴルゴダの丘で、兵士の一人が槍でイエス様の脇腹を刺した時、溢れるように水と血が流れ出たと伝えられています。私はイエス様から流れ出た血は、死の血であると同時に、命の血でもあったのではないかと思います。 命の血とは、罪を犯して死んだ人々に、再び命を与えるために、イエス様が流した血のことです。キリストの血のおかげで、罪のために死んだ人間は贖われ、生き返ることができるのです。それこそがイエス様が導いてくださる永遠の命と愛です。 今日の祭日を振り返る時、 2017 年 6 月の助祭叙階式のことを思い出しました。あの時、私はレダレロでの助祭叙階式に父と母を呼びませんでした。アタンブアから遠いという理由もありましたが私は自分が生まれて育ったアタンブアで行われる 2017 年 10 月の私の司祭叙階式に出て欲しいと心から思ったからです。私は一人で助祭叙階式に出ました。少し寂しい気がしましたが、父と母が心の中で誰よりも喜んで祝ってくれていることを感じることができました。父と母はいつも私の為に祈り、私の決断を支えてくれました。私はいつも両親の愛を感じて生きていることも神様の恵みだと思います。 イエス様の御心はとても誠実で、純粋です。いつも私達の罪を赦し、愛してくださいます。 イエス様の御心、愛は海のように広く深く、私達の理解の限界を超えた愛です。イエス様はこの無限の愛の有り難さを、両親の愛を通して私に教えてくれました。皆さんは、イエス様の無限の愛を感じて生きていますか。イエス様からの御恵みをしっかり受けとめていますか。どうぞ、イエス様の愛を、改めて感じとっていただきたいと思います。 それでは皆さん、今週もお元気でお過ごしください。 主の平和   THE INFINITE HEART AND LOVE OF JESUS   Dear brother, how are you? Thank you for your support and prayers, I am doing w...

祈りと共に神様に繋がる-RELATING TO GOD THROUGH PRAYER

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  祈りと共に神様に繋がる マルコ 14.12-16,22-26 南半球にあるオーストラリアはずいぶん寒くなってきました。皆さんは夏に向かっていると思うと不思議なものです。今日、私達はキリストの聖体の祝日を祝います。今日の福音は、最後の晩餐について語っています。イエス様が弟子達と共にした晩餐は、特別な食事でした。 「これは私の体である」という言葉と「これは多くの人のために流される私の血、契約の血である」というイエス様の言葉は、弟子たちに向けたイエス様の究極の愛の表現です 。それは、人類のためにイエス様がご自分を完全に捧げたことを意味しています。 イエス様は「友人のために命を捨てることをいとわない愛に、勝る愛はない」と言ったことを実現したかったのだと思います。 イエス様は、ご自分の体と血を私たちに与えることによって、私達が「飢える」ことがないように望まれました。そして、 イエス様は私達が強く、熱意を持って祈りと共に生き続けることを望んでおられます。イエス様のご聖体に授かることによって、私達はイエス様の愛を感じながら、イエス様と一つになります。 今日の祝日は、 2017 年、私の司祭叙階を思い出させました。叙階後、私はいつもミサを捧げ、日本にいる人々を含む全ての人のために祈り続けています。ミサや祈りは私が肉体的、そして精神的に成長する為にも役立っています。特に、日常生活の中で、他の人と愛を分かち合う事は、霊的な成長を促します。私は教会でミサに参加する時にも、同じ決意を持って参加しています。 イエス様は最後の晩餐をどのようなお気持ちで過ごされ、弟子達に御言葉を与えられたのでしょうか。どうぞイエス様の私達に対する祈りと永遠の愛を今日の福音を通して感じていただきたいと思います。神様の愛と救いの中で、私達の信仰は強められていきます。どうぞ祈りの内に、今週もお元気にお過ごしください。 主の平和   RELATING TO GOD THROUGH PRAYER Dear brothers and sisters. Australia, located in the southern hemisphere, is experiencing quite cold temperatures. It's strange to thi...

三位一体の主日-ABOUT THE MOST HOLY TRINITY

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  三位一体の主日 マタイ 28.16-20 皆さん、お元気ですか。私は皆さんの祈りと支援のおかげで元気に過ごしています。今日私達は三位一体の主日を迎えました。父は王座に座した姿、子は父の右の座に座した姿、聖霊はハトの姿などに表されます。この父と子と聖霊-三位一体の神様の共同作業を行って私達の真の幸せの為に計らってくださいます。 父なる神様、子なるイエス様、そして聖霊が、いつも私達と共にいて、関わり、支えて導いてくださることによって私達は無限の愛の絆で神様と結ばれるのです。イエス様はどんなに辛い時にも一緒にいてくれる、どんなに悲しい時にも希望の光を与えてくださいます。 ところで、 1 週間があっという間に過ぎたように感じます。私は宿題がたくさんあるので、やってもやっても終わりません。ですが朝のミサと一日の終わりの祈りの時は、いつものように三位一体の父と子と聖霊の御恵みによる愛を感じます。この祈りの時間は私にとって何よりも大切な時間であり、心の支えです。この御恵みによって、私は修道院と学校の生活を続けていけるのだと思います。どんなに忙しくても、いつも神様の愛が心の中に感じるからです。どうぞ皆さんも神様から守られて生きているという事をいつも感じて頂きたいと思います。辛い時こそ神様の愛を感じてください。心のそこから勇気が湧いてきます。 メルボルンは寒くなって来ました。日本はこれから梅雨になりますが、皆さんお元気でお過ごしください。 主の平和   ABOUT THE MOST HOLY TRINITY Hi everyone, how are you? I wish you all the best in life. May success find you. I am also doing well because of your prayers and support. Today we celebrate the mystery of the Holy Trinity. The Father is depicted sitting on a throne, the Son is depicted sitting at the right hand of the Father, and the Holy Spirit...