Posts

三位一体の主日-ABOUT THE MOST HOLY TRINITY

Image
  三位一体の主日 マタイ 28.16-20 皆さん、お元気ですか。私は皆さんの祈りと支援のおかげで元気に過ごしています。今日私達は三位一体の主日を迎えました。父は王座に座した姿、子は父の右の座に座した姿、聖霊はハトの姿などに表されます。この父と子と聖霊-三位一体の神様の共同作業を行って私達の真の幸せの為に計らってくださいます。 父なる神様、子なるイエス様、そして聖霊が、いつも私達と共にいて、関わり、支えて導いてくださることによって私達は無限の愛の絆で神様と結ばれるのです。イエス様はどんなに辛い時にも一緒にいてくれる、どんなに悲しい時にも希望の光を与えてくださいます。 ところで、 1 週間があっという間に過ぎたように感じます。私は宿題がたくさんあるので、やってもやっても終わりません。ですが朝のミサと一日の終わりの祈りの時は、いつものように三位一体の父と子と聖霊の御恵みによる愛を感じます。この祈りの時間は私にとって何よりも大切な時間であり、心の支えです。この御恵みによって、私は修道院と学校の生活を続けていけるのだと思います。どんなに忙しくても、いつも神様の愛が心の中に感じるからです。どうぞ皆さんも神様から守られて生きているという事をいつも感じて頂きたいと思います。辛い時こそ神様の愛を感じてください。心のそこから勇気が湧いてきます。 メルボルンは寒くなって来ました。日本はこれから梅雨になりますが、皆さんお元気でお過ごしください。 主の平和   ABOUT THE MOST HOLY TRINITY Hi everyone, how are you? I wish you all the best in life. May success find you. I am also doing well because of your prayers and support. Today we celebrate the mystery of the Holy Trinity. The Father is depicted sitting on a throne, the Son is depicted sitting at the right hand of the Father, and the Holy Spirit is depic

聖霊降臨-ON PENTECOST

Image
  「聖霊降臨」 ヨハネ 15.26-27;16:12-15 皆さん、日本はいよいよ暖かくなってきたと思います。お元気ですか?メルボルンは冬に向かって、寒くなっていますが、皆さんのお祈りのおかげで私は元気です。先週の日曜日、インドネシア人の家族が日本料理を作ってくれて、私と友人 3 人を招待してくれました。 その家族は、とんかつや味噌汁、抹茶味のお餅を作ってくれました。とても美味しくて、吉祥寺のとんかつ屋さんで食べているような気分になってとても幸せでした。 さて、今日は、約束の聖霊が弟子達の上に降ったことを記念する聖霊降臨日で、昔から「教会の誕生日」と言われてきた祝日です。イエス様 は天に帰られる前、弟子達に、「聖霊が与えられるまで、エルサレムで待ちなさい」と仰いました。弟子達はイエス様の言葉に従い、共に集まり、祈って、待ちました。イエス様はいつ聖霊が与えられるのか全くおっしゃらなかったので、弟子達はとても不安だったと思います。しかし、その 10 日後、五旬祭の日に 弟子たちの物語が大きく動きます。 一同が集まっていた時、突然、激しい風のような音が天から聞こえ、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、弟子達一人一人の上にとどまりました。それが「聖霊降臨」です。 弟子達は、この神秘に満ちた聖霊の働きを受けて、イエス様のことについて、公に語り始めました。そして異なる様々な国から来た者達へ、イエス様の御言葉、福音を述べ伝えたのでした。 この福音から私は 2018 年 7 月に来日した時のことを思い出しました。私はその時、日本語はまったく話せませんでした。挨拶すらできませんでした。しかし、聖霊の働きがいつも私と共にあったことは確かで、日本語を学んでから約 3 年間、吉祥寺教会で元気に働くことができました。人にはそれぞれ与えられた仕事があると思います。時々難しそうな仕事であったり、簡単そうな仕事もあります。どのような仕事でも、聖霊の導きがあり、私達の日々の生活に活力を与えてくれます。私は今でも聖霊に導かれてメルボルンで学業に励んでいます。楽しいこともあり苦しいこともたくさんあります。ブログのタイトルのように紙ひこうきの様ですが、全てに感謝して飛び続けようと思います。 皆さん今週も元気でお過ごしください 主の平和   ON PENTECOST

辛い時こそ主と共に生きる-GOD'S LOVE IS ALWAYS WITH US EVEN IN DIFFICULT TIME

Image
  「 辛い時こそ主と共に生きる 」 ヨハネ  17.11b-19 皆さん、お元気ですか。私は、皆さんの祈りとサポートのおかげで、メルボルンで元気に過ごしています。月曜日から金曜日まで大学のキャンパスで過ごし、週末は司祭や神学生達と共に過ごします。毎日楽しく生活できるのも神様の私に対する大きな恵みと愛によるものです。 さて、今日私達は主のご昇天を祝います。使徒言行録によると、復活したイエス様は 40 日間弟子達に姿を現した後、天に召し上げられました。そのようなことから、主の昇天の祭日は復活祭後 40 日目の復活節第 6 木曜日に祝われることになりました。ただし、日本のようにキリスト教国でない国では日曜日 ( 復活節第 7 主日 ) に移して祝われています。 イエス様はご昇天に先立って弟子達に聖霊が降ることについて語られました。そして教会に聖霊降臨が告げられ、聖霊の働きによって弟子達は力を受け、イエス様の証人となり、福音を全ての人に宣べ伝える使命を与えらました。 イエス様は弟子達に言われました。「全世界に行き、全ての人を私の弟子にしなさい。私は世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる。」イエス様の創られた教会、日本やオーストラリアにも、イエス様はいつも私達と共にいてくださいます。 私も今聖霊の働きによってメルボルンで学生そして司祭として生活をしています。やっと日本語を覚えたと思っていたのですが、今度は英語で勉強をするのは、簡単ではありません。これから英語だけではなく本格的な勉強が始まります。私は勉強に集中したいと思います。私は神学院では司祭や宣教者として規則に従い、できる限り活動に参加したいと思っています。この二つの生活を両立させるのは大変難しいと感じていますが、やってみます。色々な困難や辛い経験の全ては神様が私に与えてくださったミッションです。そのミッションを成し遂げるために色々な困難を乗り越えなければなりません。辛い経験は自分が成長するチャンスです。神様が与えてくださったこのチャンスを生かして、先ずは大学での学びに集中したいと思います。 私を日本からメルボルンへ送ってくださった日本管区長や先輩司祭のご期待に添えるよう、一生懸命勉強します。そしてこれからも、共同体の一員としてできる限り共に過ごし、信仰を更に強めていきたいと思います。まだま

互いに愛し合おう-LET US LOVE EACH OTHER

Image
  互いに愛し合おう ヨハネ 15.9-17 私はメルボルンでさわやかな朝を迎えています。皆さんはお元気ですか。私達は5月最初の主日を迎えています。 今日の福音の中でイエス様は「私があなたがたを愛したように互いに愛し合いなさい。これが私の掟である」と教えておられます。つまり、神様に繋がるとは神様の愛に留まり、その愛で他者を思いやり愛し合うことです。私達は残念ながら罪人であり、自己主義で愛に満たされない人間です。しかし、神様はいつもご自分の方から「私もあなたがたに繋がっている」と仰ってくださいます。神様が私達に繋がってくださるからこそ、私達は全ての罪を許していただき、反省する機会を与えられるのです。神様の愛に留まるからこそ、他者を赦し愛し合うことが出来るのです。そしてそれはイエス様が私達に求めておられることです。 広島平和記念資料館の館長であった畑口實さんという方がいます。彼はお父さんを原爆で亡くし、自分の館長室にお父さんの形見の懐中時計を展示していました。お母さんが被爆した時、畑口さんはお母さんの胎内にいました。お母さんは原爆の後遺症のためにお亡くなりになりましたが畑口さんは自分がいつ発病するか分からないと不安そうに言っていました。そんな館長さんが一番感謝しているのは、被爆したお母さんが自分を産み、育ててくれたことだそうです。私はこの話を知ってとても感動した事を今でも覚えています。 今日の福音と畑口さんの物語から、私は戦争で逃亡を余儀なくされる人々について考えました。私が 10 歳の頃、西ティモールのアタンブアには東ティモールからの難民がたくさん逃げてきました。彼らは戦争によって家を失い、食べ物もなく、テントで暮らしていました。彼らのために援助はあっても、とても少なく彼らは大変苦しんでいました。突然、全てを失うことはどんな理由があっても正当化できません。愛と平和の中で生きることは人間として最低限に認められるべきだと思います。今も世界中で自国を離れ幸せを求めて彷徨う人々が沢山います。どうぞ彼らの為に祈ってください。 世の中には、限りない愛情が色々な世界の中で息づいています。勇気を持って困っている人に手を差し伸べてください。私達もまた、日々の生活の中で互いに愛を分かち合うことができますように。そして隣人愛がいつか難民を救う愛情となりますように、心

私達は神様と繋がっている-OUR RELATIONSHIP WITH JESUS

Image
  私達は神様と繋がっている ヨハネ 15.1-8 皆さん、今日はぶどうの話から始めたいと思います。キリスト教では、ぶどうは神様の命や恵み、祝福の象徴です。私は吉祥寺にいた頃、何度かぶどうを買って食べました。メルボルンでも、時々神学院の食堂にぶどうが用意され、他の司祭達や神学生達と一緒に食べることがあります。ぶどうは本当においしいです。ぶどう酒は貴重な飲み物であり、その芳醇な味わいは人々に喜びを与えます。私はここでぶどうを食べたりワインを飲んだりする度に吉祥寺教会の司祭団と一緒に過ごした日々を懐かしく思います。本当に楽しい日々でした。 さて、今日の福音書の中でイエス様は「私は真のぶどうの木、あなたがたはその枝である。私に繋がっていなさい。私もあなたがたに繋がっている」と弟子達に仰いました。つまり、私達はイエス様という豊かな木につながる枝であり、イエス様の中に流れる豊かな水・養分をいただいて私達の葉が繁り、花が咲き、実をつけます。私達はイエス様から神様の命や愛、恵み、祝福を受け、今この時を生きているのです。 それほどイエス様の愛は強くて深いのです。イエス様の深い恵みの中で私達は生かされていることを感じていただきたいと思います。辛い時、悲しい時、苦しい時、試練の中にある時、絶望の淵にある時、誘惑の中にある時、いかなる時も私達はイエス様から離れず、繋がっていることを感じながら生きていきましょう。 ところで、 2023 年 4 月 27 日に私は東京を離れメルボルンへ行く準備をするためにインドネシアへ帰りました。その時からちょうど 1 年になることをついさっき思い出しました。羽田空港まで送ってくださったビジュ神父様、森神父様、フォン神父様に改めて感謝します。また、皆様のお祈りのおかげで、今まで健康でいられたことも確かです。これまでの皆様のご支援、本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。それでは皆さん、今週もお元気にお過ごしください。 主の平和 OUR RELATIONSHIP WITH JESUS      Everyone, today I want to share a story about grapes. Maybe you've eaten grapes and drank wine.  In Chri

良い羊として生きる-LIVE LIKE A GOOD SHEEP

Image
  「良い羊として生きる」 ヨハネ 10.11-18 皆さん、 4 月に入り日本は春の季節に入りましたね。皆さんはお花見をしましたか?お元気でお過ごしでしょうか?私は元気で毎日勉強に励んでいます。面白いことに、私の英語の先生であるトムは大阪に 10 年間住んでいました。時々、授業中に彼と日本語で話すことがあります。そんな時、私は日本語で話しながらとても嬉しくなります。春になると井の頭公園の桜や荒田神父様と私が吉祥寺教会の前に植えた桜の木を思い出します。そして日本食が懐かしくなります。 さて、今日の福音書で人間は羊として描かれ、神様は羊飼いとして描かれています。「私は良い羊飼いである」という表現の中で、イエス様は良い羊飼いは羊のために喜んで犠牲を払う、つまり役に立つと言われました。次に、良い羊飼いというのは、群れから離れた羊を探して、また愛を持って育てるのだと私達に教えくれました。 イエス様は、例え私達が罪を犯したとしても、あるいは、たとえ教会から遠ざかって祈りを怠ったとしても、私達を神の子として、全てを許してくださり、また受け入れてくださいます。それゆえに、私達は神様のご意志に従って、素直に罪を認めて、心を改めて生きるように努力しなければいけないと思います。 私は今学生として、また司祭として日々学んでいます。忙しい中で、時々、自分が従順な羊として生きているのかを問いかけることがあります。自分の与えられたミッションを責任を持って成し遂げる為に、私は神様を信じて今やらなければいけないことを、一生懸命にやろうと思います。 私がメルボルンに来て、ほぼ一年ぐらいになりますが私達はいつも祈りの中で会うことができます。どうぞ、皆さんお元気にお過ごしください。 主の平和   LIVE LIKE A GOOD SHEEP Hi everyone, since April it has been spring in Japan and autumn in Australia. How are you doing? Have you all gone to see the cherry blossoms? When spring comes, I think of the cherry blossoms in Inokashira Park and

あなたがたに平和があるように-PEACE BE WITH YOU

Image
  「あなたがたに平和があるように」 ルカ 24.35-48 主のご復活おめでとうございます。皆さん、お元気ですか。私はメルボルンで、毎日元気で、忙しく過ごしています。勉強のことだけではなく、時々宣教者として、私はインドネシア人の信者コミュニティの為に奉仕をしています。 今日の福音は、復活されたイエス様が弟子達の前に姿を現したお話です。イエス様が弟子達に最初に語られた言葉は「平和」でした。手には釘を打たれた痕が、わき腹には槍で突かれた痕がありました。なぜイエス様は、弟子達に自らの傷痕を見せられたのでしょうか?イエス様ははりつけの傷跡を弟子達に見せることで弟子達を勇気づけ、さらに信仰の力を強めようと思われたのかもしれません。 私はイエス様の傷跡にイエス様の赦しのメッセージが込められていると思っています。復活されたイエス様のお身体の傷は、「あなた方のために傷つくことを厭わないよ」という愛のメッセージです。悲しみにくれていた弟子達にイエス様から近づいて励まし、優しく包み込んでくださったのです。特に疑い深いトーマスは、自分の手でイエス様の傷跡に触れることによって、よみがえられたイエス様を信じるようになりました。 このイエス様の復活によって、私達は復活を喜ぶと同時に、自らを悔い改め、苦しみの中で喘いでいる人々に希望と力を取り戻すために手を差し伸べる勇気を学びました。私達は皆、それぞれの悩みや困難、苦しみの中で生きています。しかし、イエス様はどの様な苦しみも喜びを持って受け入れなさいと教えてくださいました。 イエス様の御復活によって、復活祭は愛と平和を共有する日であることを思い出させてくれます。忘れられてよい人は誰もいません。無視されてよい人は誰もいません。神様が私達を愛しておられるように、私達は互いに愛し合い、平和に暮らし、毎日を生きなければなりません。これこそが復活の精神を生きるということであると思います。 残念ながらイエス様が求めている平和はまだまだ見えてきません。戦争の犠牲者は増え続けています。このような状況がいつまで続くのでしょうか。どうぞ皆さんご一緒に一日も早く戦争や争い、災害、感染症の無い平和な日が来るためにご一緒に祈りましょう。 主の平和   PEACE BE WITH YOU My dear brothers and

互いに思いやり助け合う-CARING FOR AND HELPING EACH OTHER

Image
  互いに思いやり助け合う マルコ 1.40-45 今日の福音は先週に引き続きイエス様が一人の重い皮膚病患者を清めたことについて語られています。当時は、重い皮膚病になると、家族や社会から疎外されました。感染することを恐れることは当然でしたが、モーセの律法で、重い皮膚病は汚れていると考えられていたからです。 さらに、これは神の呪いであると理解されて、皆に忌み嫌われたようです。そのため、重い皮膚病は、通常のように癒されるのではなく、清められる事を求められました。 皆さん、当時の人が重い皮膚病によって、どれだけ苦しんだか想像できますか。愛する人から離れて全てを失い、失望のどん底の中で彼らは亡くなっていったのではないかと思います。 私は今日の福音を読んでいると、 8 年前に私が大学院で論文を書いていた時の事を思い出しました。その時、私はインドネシアのフローレス・マウメレでエイズ (HIV/AIDS) 患者と一緒に 1 年ぐらい過ごしました。彼らは、公の生活から排除されて、大きな精神的苦痛と共に生きていました。ある人は、彼らを生きている死体に例えました。肉体的には生きているが社会生活では死んでいると考えられていたからです。問題はエイズ患者達が私達と同じ人間ではない、と思われていた事です。私は彼らの悲しみや苦しみ、そして絶望感を理解しようとしましたが、自分の無力さを心の底から感じました。その時の私には手を差し伸べて助けることと、祈ることしかできなかったことを覚えています。この経験の全ては、今の自分にとってとても役に立っています。 皆さん、イエス様は絶望している皮膚病患者を拒絶せず、代わりに、深く憐れんで患者に触れました。重い皮膚病患者が「御心ならば、私を清くすることがおできになります」と願うと、イエス様は手を差し伸べてその人に触れ「よろしい。清くなれ」と仰いました。すぐに皮膚病は治り、その人は喜びました。これは、どんな状況であれ、イエス様が私達をとても愛し、助けてくださる事を意味しています。 この福音から学ぶことは二つあると思います。まず、私達が謙虚に救いを求めると、イエス様は必ず救いの手を差し伸べてくださる事を、信じる事です。もう一つは、私達もイエス様のように、思いやりの心を持って、私達の助けを求める人の声を聞いて寄り添う事です。なぜなら、私達は血のつ

癒しと祈りについて-ABOUT HEALING AND PRAYER

Image
  癒しと祈りについて マルコ 1.29-39 皆さん、今日の福音書では先週に続き、巡り歩いて、病気をいやしたり、悪霊を追い出したりして宣教するイエス様の姿と、人里離れた所で一人祈るイエス様の姿が印象的です。 イエス様の宣教とは、神様の国の到来を告げ知らせることでした。それは単に言葉によるだけではなく、「悪霊を追い出す」という表現で象徴されているような、神の国の到来を現実のものとして体験できるしるしを伴うものでした。 イエス様は一つの場所に決してとどまることなく、宣教するためにあらゆる場所へ出向いていきました。イエス様の祈りは、その宣教活動の中において、場所を選ばず、昼夜を問わず、あらゆる形で祈りを続けました。ですが、イエス様は治癒を求めて来る人々に、疑問を持ったであろうと思います。なぜならば、人々が求めるのは病気の治癒のみであり、神の国ではありませんでした。「これで良いのだろうか」、「人々は奇跡だけを求めて信仰を求めようとはしない」、イエス様は迷って、祈られたと思われます。 私達はイエスが癒しと宣教の間に、一旦退かれて、祈りと黙想の時を持たれたことの意味を考える必要があります。イエス様は悪霊追放の働きに備えるだけではなく、根本的なところで神様の意思を問い、自らの使命を確認するための祈りが必要だったのではないでしょうか。 私が吉祥教会にいる時、時々病気でミサに出席できない人のところに御聖体を持って行っていました。その男性は毎回私の来訪を大変喜んでくださりました。実際私は彼の病気を治す力もなく、祈りを共に捧げただけでしたが、彼にとって心の癒しになったであろうと私は信じています。 私はキャンパスで勉強する以外にも、インドネシアのコミュニティでミサ等の奉仕活動をしています。信仰に関する全ての活動を、私は喜びをもって行っています。これらの行いは私の心の癒しと祈りであり、同じように信者の方達にも心の癒しと祈りを感じて欲しいと願っています。 ところで、自動車の自動運転や、電子マネーや仮想通貨など、世の中がどんどん進化し、時代は変わっていきます。しかし、福音が人を介して伝わることは変わりません。神様から受けている恵みに気づき、周りの人に奉仕し、さらに他の人を動かす影響力のある人が現代に求められていると思います。私達も各自の生活の場に神様から派遣され

イエス様の福音宣教-OPEN YOUR HEART TO BE MOULDED BY THE POWER OF GOD'S LOVE

Image
  イエス様の福音宣教 マルコ 1.21-28 皆さん、今日の福音はイエス様の宣教活動の幕開けとなるカファルナウムの会堂での出来事が紹介されています。人々はイエス様の教えに大変驚きました。その教えは、律法学者のように事実を説明するのではなく、イエス様の御言葉が事実となっていくという人々に感動と驚きを与えたからです。 イエス様にとって「初めて」公の場で教えを語ったのですが、それまでのイエス様はナザレの田舎町で素朴な両親、ヨゼフとマリアと一緒に、ひっそりと暮らしていました。決して人々に期待されるような存在者ではなかったのです。 多くの人々が驚く中で、 特にイエス様の新しい教えの元に集まってきた病人や悪霊に取り憑かれた者達でした。彼らはイエス様の御言葉に心を癒し、イエス様の教えに従ってついていこうと思ったに違いありません。 今日の福音は宣教における基本的な方向性が示しています。イエス様の苦しんでいる人達を待つのではなく、自分の方から出向いて行こうという態度こそが宣教の本質であると思います。 イエス様の宣教の最初の言葉は「悔い改めて福音を信じなさい。」でした。このイエス様の御言葉を信じる前に私達は悔い改めるという努力をしなければなりません。悔い改めるという行為は決して簡単なことではありません。イエス様の御言葉を信じることよりも難しく、心の痛みを伴うこともあると思います。自分の弱点や罪に目を向けるのは、とても嫌なことです。しかし、イエス様は私達の全てを受け止めてくださいます。 皆さん、私達キリスト者は、神様に見つけていただき、憐れみの心を授けられ、そして導かれています。それ故に、イエス様の教えと私達の行いは完全に一致しなければいけません。私達を縛り付ける考え、習慣、病気、対立などから解放されるためにもイエス様の教えに従って、心を柔らかくして生きていきましょう。 今日の福音について黙想した時、私は次の詩篇の言葉を思い出しました。「主は憐れみ深く、恵みに富み忍耐強く、慈しみは大きい。永久に責めることなくとこしえに怒り続けられることはない。主は私達を罪に応じてあしらわれることなく私達の悪に従って報いられることもない ( 詩編 103.8-10) 」。 神様は全ての人を慈しみ、救済の手を差し伸べてくださいます。私は 憐れみ深い神様の「無限の愛」と「憐れむ